そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

僕は「きちんと愛されている」のか?〜「だいたいぜんぶ展」から考えたこと〜

道に迷い、急な坂を駆け上がりながら「乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展」に行ってきた。改めて言葉にして認識したことはなかったけれど、愛されるというのは、大切にされるということだ。

 

間違いなく乃木坂46は今、多くの人に認知され、国民的アイドルグループの仲間入りを果たしていて、彼女たちの持つ市場価値は計り知れないほど高い。敢えて「愛されている」とか「好かれている」と使わないのは、この展覧会を通して、それらの本質について考えなおしたからだ。

 

この展覧会を進みながら、それぞれが「乃木坂46」に対して愛情と情熱を注いでいると思った。「それぞれ」というのはメンバー自体はもちろん、運営や製作陣も含めた「関与する全ての人物」のことで、展示物や構成を通してそれがちらちらと垣間見える。

 

彼女たちは愛されて、大切にされている。

私は素直にそう思った。

 

ファンが「そう」なのは当たり前だけれど、そうではない、仕事として彼女たちに関与している人たちから「そう」いうものが伺えるのは、嬉しくて、温かくて、とても誇らしい。自分の大好きな人たちが「きちんと愛されたうえで仕事をしている」ということは、とても幸せなことだ。

 

 

そしてここからは乃木坂46から大きく話題が外れる。ここ最近、きちんと愛されているだろうか、と疑念を覚えることが続いている。

 

私はまだNGT48の山口真帆さんの件に関して、全く納得できていない。あれはグループ内の揉め事でもないし、ファンの危険行動でもない。未遂であろうと暴行事件だ。いつのまにか話がすり替わっている。そしていつのまにかその話題が上らなくなっている。いいのかよ、それでおしまいにして、いいのかよ。

そもそも、10代20代の女性を集めて仕事をしているのにも関わらず、危機感がとてつもなく薄い。「自宅までの送迎」や「防犯ブザーの配布」という超初歩的な防犯対策を、これまで行っていなかったことの方が驚きで、数日かけて対策を練ったあとの企業の発表がそれなのかとため息をついた。あまりにも薄情だと、私は思った。なにも解決していない、きっと解決する気もないと、私は思った。

 

女性アイドルだけでなく、男性アイドルに対しても思うことは多々あって、涙は昨年までで流し切ったくらいだ。(そこらへんは散々ブログでも書き荒らしているのでなんとなく察して欲しい。)

 

果たして、私の好きな人たちは、ちゃんと愛されているのだろうか。

 

もちろん仕事なのだから、愛だのなんだの必要ないだろうというのも分かる。でも、自分の大好きな人たちが、その周辺の人たちにきちんと愛されて、大切に扱われていると実感したとき、それはそれは満たされた気持ちになった。

 

アイドルは多くの人に愛される存在で、本人たちもそのために多くの努力と犠牲を払い、そこに在り続ける。だから彼ら、彼女らがぞんざいに扱われることは見ていてとても胸が苦しい。

もっと多くの人に愛されて欲しいのはもちろんだけれど、それよりもまずはきちんと、周辺の人たちに愛されていて欲しいと願ってしまう。自分の大好きな人たちが愛されて大切に扱われている姿は、とても幸福度が高い。

 

きちんと大切に扱われているだろうかと、不安に思うことがある。それは自身もそうであるし、自分の大好きな人たちに対してもそう。特別な幸せがなかったとしても、せめて大切に扱われていて欲しい。私の好きな人たちは、それに対して愛情を見いだすことのできる人たちだから。

 

話は大分逸れたが、展覧会として、グループとして、乃木坂46の芸術性の高さは本当に素敵。その洗練された繊細さが本当に大好きだ。いつも乃木坂46の魅力を挙げるときに「見た目が良い」「センスが良い」「芸術性が高い」の3つを挙げ「ぜんぶ見た目じゃん」と笑われるのだが、この展覧会を通して「そこに到達するまでの情熱や愛情」について触れられた気がする。ああ、乃木坂46に関係する人たちって、みんな乃木坂46のことが好きなんだな、とそう思える展覧会だった。また行きたい。是非行きたい。買えなかったグッズも買いたい。図録が届くのもとっても楽しみ。こうやって、愛情が広がっていくのって、とてもわくわくして気持ちが良い。そんなグループがもっと増えたら良い。

「Endless SHOCK」観劇旅 〜東京遠征24時間チャレンジ〜

さて昨日、2019年2月11日。Endless SHOCKを観劇してきました。朝7時に家を出て、翌朝7時に京都駅に到着するという「東京遠征24時間チャレンジ」を開催したので、そのドタバタ、破茶滅茶な旅記録です。遠征のドタバタまとめ、あとから自分で見返すの好きなんですよね(笑)

 

顕嵐担のモーニングコールで起床

さなあらがついにメディア露出!ということで、観覧で早起きする顕嵐担の友人に「5時半に起こして(´;ω;`)」と泣きついた前夜。アラーム5つかけていたものの、モーニングコールがかかるまでに既に3つ消している。(なお記憶はない)「なべしょっぴかな?!」レベルの寝起きの悪さの私に「頑張って起きて!福ちゃんに会うんでしょ!」と懸命に呼びかける友人は、さながら舘さま。おかげで無事に起床できました。持つべきものは早起きのオタ友です、ありがとう(´;ω;`)さなあらの2人、番組出演この日にしてくれてありがとう(´;ω;`)※そこ

 

自宅最寄り駅目前で忘れ物に気付き速攻帰宅

いざ出発!と最寄り駅でICOCAを取り出そうとするも、鞄にもコートのポケットにも入っていない。そして気づく。iPhoneもない。そうだ、直前までコートを迷っていた私。入れ替えていなかったんです。やっちまったー!新幹線の切符買ってなくて良かったー!と心の底から思った。意気揚々と出掛けたのに速攻帰宅をかまして旅がスタート。過ぎたことなのに先が思いやられます。

 

東京駅で路頭に迷う

当日夜に出発するVIPライナーのラウンジに荷物を預けて身軽になってから第1の目的地に向かおうとしていた私。絶対に購入したいと思っていた自分用お土産を先に購入して、キャリーに詰めておこうと企てる。そして迷う。馬鹿なのでだんだん地下なのか地上なのか分からなくなる。でも来た道は覚えるタイプなので、どうにか目的地のグランスタを見つけられるも、改札内とはつゆ知らず。帰りにしようと泣く泣くラウンジに向かう。痛恨のタイムロス。

 

鳥居坂って、どこ?(泣)

第1の目的地「乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展」ソニーミュージック六本木ミュージアムWEBサイトに向かうも、迷う。けやき坂を歩きながら「今はけやき坂じゃないねん、乃木坂に行きたいねん」と半べそかきながら歩く。地図が読めない女は出口を間違えていることにこの時まだ気づいていない。前売り券の時間が迫っているので人に道を聞こうにも、外国人が点々と歩いているくらいで、半べそかきながら前方に柴犬を連れたおばさまを発見して捕まえる。わんころの散歩しているジャージ履いたおばさまが地元民でないわけはない…!そして尋ねる。鳥居坂ってどこですか?」必殺技?の関西圏のイントネーションを使い、観光客を装う。(いやまぁ観光客やけども。)「乃木坂って、どこ?」かよ!タイトルコールかよ!そして衝撃的なことを言われる。「(あなたの進行方向の)反対側だよ!」「今六本木駅に向かってることになってる」私の脳内でTravis ほんこわ Japanのみなさんがテーマソング歌ってるーーーーーーー!!!!!!!!

感謝を告げ、競歩で支持されたとおりに進むとありました!!!!あったよ鳥居坂!!!!10分遅れでなんとか会場に到着して、事情を話したらスタッフの方も対応してくれて、なんとか入場。この展示会を通して感じたことはまた追ってブログにしたいと思ってるので割愛。本当は展示会を見終えて友人とランチするために六本木駅に着いている予定時刻に館内に入るという、ね。大寒波襲来なのに鳥居坂駆け上って汗だくだった私よ。

 

東京駅で路頭に迷う Part2

友人を待たせていた東京駅に到着するも、どうしてもお手洗いに行きたい私。改札を出てお手洗いを探すも、無い。見つからない上にだんだん人が少なくなっていく。東京駅なのに。

心細い上にトイレが見つからず、ここがどこかわからない半泣きな私は、如恵留担の友人に近くにあった構内地図の「現在地」の部分を写メって送る。散々待たせたうえに迎えに来てくれるのえ担、優しすぎる…!こ、これが担タレ…!あ、その後即お手洗いに駆け込めたのでご安心ください(笑)

 

Endless SHOCK 観劇

推しが大好きな舞台のヒロインになった感想ブログはまた追って書きます。ここではツイートだけ貼っておく。

色々書いたけど、1日経っても1番思っていることはこれかなぁ。梅リカちゃん大好き。あと300回くらい観たい。

あ、ちゃんと自担の福ちゃんも観てたから!!!!いつもより短縮されたけど!!!!やっぱり福ちゃんはかっこ悪いところが1ミリもなくて最高でした。

 

ふぉゆ担は呑むよね

観劇後はボロボロの私をのえ担が座席に私を拾いに来てくれました。面倒見の良さ担タレすぎる。ありがとう(´;ω;`)

その後はのえ担と別れて、約束していた辰巳担の友人と居酒屋へ。ふぉゆ担集まったらまぁ呑むよね。担タレだね?陽気に呑んだと思ったら一瞬真面目に話して、また陽気なことになるよね、担タレだね?「ふぉ〜ゆ〜がはっぴ〜あわ〜しているだけの動画配信して欲しいよね、一緒に呑みたいよね〜」ってふぉゆ担集まったら毎回言ってる気がする。

その後時間制限があったので追い出され、お土産調達で東京駅へ。無事に狙ってたカファレルさんCaffarel online shopの東京駅限定パッケージをゲット!

その後喫茶店に入り「呑んだ後お腹が空くタイプ」の辰巳担と「呑んだ後アイスクリームが食べたくなる」タイプの福田担とで各々ご所望の品を食べつつ、夜行バスの乗車準備のギリギリまで一緒にいてくれました。多分迷子にならないか心配されてた(笑)

 

休憩に1度も気付かずに寝た夜行バス

3回休憩するって言ってたんだけど、気付いたら翌朝6:50で、リクライニングしてから即寝したらしい。1日を思い返すことなく寝た。本当に休憩してたんかなってくらい爆睡してた。そんなこんなで24時間チャレンジは無事に終了しました。さすがに足のむくみがひどくて、帰宅して即湯船でマッサージコースでした。

 

総括

めちゃくちゃ楽しかった。つめつめしすぎた気もするし、1日で3回迷子になったけど、やっぱりオタク楽しいなぁ、現場って楽しいなと痛感。普段全然行かない土地に行くのもとっても楽しい。東京の人たちは話し声が小さいなとか、人ごみの中「すんません、すんません」連呼しながら手刀で無理やり通り抜けするおじさんがいないなとか、そういう発見もあって楽しいなと(笑)あと単純に東京には友だちが居るから心強い。地図読めるようになりたい。(切実)まあ総じてめちゃくちゃ楽しかったので良し。しばらくは大好物の東京ばな奈とチョコレートたちが私の楽しみです。さ、そろそろ荷解きして明日からの現実を受け止めようと思います。嗚呼昨日の朝からやり直したい。

2018年おせわになりました!(※私的振り返りブログ)

2018年、精神的にとっても長くて、体感的にはとっても短かった。このブログは私的なことが含まれたオタクの振り返りブログです。

 

ふぉ〜ゆ〜でたくさん笑ってLove-tuneでたくさん泣いた一年だったなぁ。

 

まさか自担と推しの共演が実現するなんて、全然思っていなかった今年の頭。まさか今年の終わりに再共演が決まるなど…!しかも自担が推しにオーディション勧めるってなにそれ…なにそれ…その様子見たかった…!福ちゃん天才か…!

ありがたいことに2月に観劇が決まっているので、SHOCKにお邪魔します。楽しみ!また自担を見るか推しを見るか迷う幸せを味わえるとは。

改めて思い返すとDAYZERO遠征以降福ちゃんに会ってないんだな〜!今年色々あったしな(白目)(それは後述)

 

今年は「自担と推しの共演」と「自担と推しの退所と卒業」が私のキーワードで、楽しいだけじゃなくて沢山身を削がれたなと思います。

 

まあ、ほら、Love-tuneだよね、怜央ちゃんだよね。祭りで久々に「やっぱり怜央ちゃん大好きだな〜」って思ったら、年末にはこれですよ。しんどい。たくさんたくさん泣いた。夜な夜な泣いた。過去の映像見て夜な夜な泣いた。こんなにかっこいい人たちが、なんでこんなことになるのって悔しくて悔しくて悔しくて夜な夜な泣いた。私の大好きな人たちの大好きな場所をなんで取り上げたのか、とにかく悔しくて悔しくて、今もまだ悔しくて仕方ない。

でも毎日部屋に飾ってる写真立ての中の怜央ちゃん(フレームのせいで訪問者に遺影と言われる笑えない可愛い怜央ちゃん)を見て、そのたびに「元気かなぁ?」って思っていたので、なんか今はもう、スッキリしたなとも思ってる。

まぁLove-tuneの諸々に関しては、吐き出すところがなくて過去のブログに書きなぐっているのでこれにて割愛。振り返りブログだし。

 

あとは乃木坂から推しと乃木坂に興味を持つきっかけとなった最初の推しの卒業がほぼ同時期に発表されて、更に推しの若月佑美さんに関しては、怜央ちゃんの退所と同じ日付での卒業という、私にとってある意味忘れられない日になりました。自担と推しが同日に所属していたところから離れた日でした。

 

私生活でいうと、すごくガタガタでした。現場が少なかったのはそれもある。辞めたい仕事をダラダラと1年続けてしまい、それでやる気が出るわけでもなく、ただただ体調がずっと低空飛行する1年でした。CT検査しても血液検査しても何もなくて「ストレス」「疲労」って結論にしかならないので「もうなんか無理なんだな」って思いつつ、そんな体調なので転職活動を続ける気力もなかったのが事実でした。

でもLove-tuneの一件があってから、しんどい現実の逃避先だったオタクがしんどくて、その逃避先がちょうど繁忙期だった仕事と転職活動になりました。あっという間だったこの1ヶ月。年明けからまたバタバタするけど、今はオタクがしんどいのでちょうどいいかも(笑)落ち着いたら「自担が会社を辞めたので、私も辞めました」ってブログ書きたい。

 

今年はあと何していたかなぁ…?

 

沢山よいと思える漫画に出会えたし、割と映画館に行って映画を観ることが出来たなと思います。私が感想を流していたら興味を持ってくれて、実際に手に取ってくれたり足を運んでくれたりと、小さいかもしれないけど周りで反響があったのが嬉しかった。だからわりと頻繁にブログの更新ができたかなって思います。いいものはいいので、沢山の人のもとに広がって欲しいなぁ。来年もそんな経験ができたらいいなぁ。

 

あと大きいのは友人関係のことかなぁ。学生時代からずっとまめに連絡して食事に行っていた友人と、いつからかなぜか居心地がとても悪くなっていて、でも習慣というか惰性でずっとだらだらと会っていたのだけど、ある日を境に一切連絡を取らなくなって長くなりました。理由はまぁ色々あるのだけど、私にとって友人関係でいちばん大切にしていることを、自分で気づくことができた経験でした。

 

そうそう、27歳になってから、私すごく生きるのが楽になったというか、いい意味で肩の力を抜いて生きられるようになったなって思います。上手いこと言えないんだけど、突然「こうじゃなきゃ、ああじゃなきゃ」っていう枷のようなものが解けたというか。そのわりに身体はストレスで悲鳴上げていたけれども(笑)

 

そして27歳になったので、将来のことや金銭面や健康面のことも考えて、転職活動したり家計簿をつけたりしています。全部楽しく生き尽くしたいなって思ったら、まずはそのために必要なものを装備しないと、今の私は弱いと思ったのがいちばん。来年はまるまる1年使って環境を整えて、そのうえで自分の大好きな人たちの応援をしたいと思います。

 

今年一緒に過ごしてくれたオタクひとりひとりに、本当に感謝!雑多なオタクだけど、また来年もたくさん遊んでやってね!

 

では、あなたとあなたの大好きな人たちにステキな2019年が訪れますように!

ブレーキに足かけんじゃねーぞ!〜「ニート・ニート・ニート」鑑賞記録

幼い頃「風穴をあける」という言葉が、荒々しくて少し怖いと思っていた。

 

スクリーンのなか「助けに来てやったぞ」とドアが蹴破られた。安井謙太郎だった。久しぶりの「公の姿」だった。いつも見ていた頼もしい最年長から発せられた言葉に、頭をガツンと殴られたかのような衝撃だった。そうだこの人はそういうことを「発する」人だった。

 

Love-tuneからの報告の後、最初の休日に、ふらふらと「ニートニートニート」の2度目の鑑賞をした。自分でもなんでなのかは分からないけれど、取り憑かれたかのようにチケットを予約購入していた。メンバーの姿を見ないとやっていられなかったんだと思う。

 

「今のLove-tuneには、今の謙ちゃんには、きっとレンチの人格が必要だったんだと思う。」それは私が映画を観たあと、いちばんに思ったこと。賢くて冷静で、でも沸々と情熱が溢れている彼らに、きっとレンチの荒々しさや「真っ当さ」は確かに必要だった。少なくとも私はそう思う。

 

破茶滅茶でドタバタと進むストーリーのなかで、主要キャストそれぞれ、目を伏せるシーンがある。目を伏せて、目を逸らして来た4人が、最後には目を合わせて、対峙する。対峙できるようになるまで、きっと彼らは人より時間がかかって、覚悟が必要で、だから「ニート」であったんだと思う。

 

彼らが過去に見切りをつけ、前を向き、未来と対峙したとき、そこにあるのは北海道の真っ直ぐと伸びた一本道だった。遮るものがない、鮮やかな自然に囲まれた、真っ直ぐと伸びた一本道だった。仲間たちが詰め込まれた車を、ただひたすらに、真っ直ぐに走らせる。それはまるで、彼ら自身を見ているかのような感覚だった。「ブレーキに、足、かけんじゃねーぞ」と劇中の安井謙太郎の声が頭の中でこだまする。それはまさに、私たち応援する側の気持ちそのものだった。

 

「不幸のなかで1人っきりになっても、毅然としてろよ」と涼やかに強く言い切る安井謙太郎は、確かに安井謙太郎そのものであったし、でも確かにレンチでもあった。そしてまさに今、彼がその姿をもって証明している。

 

彼らのこれまでとこれからの間に、この作品が置かれたことは、偶然かもしれないけれど、でも確かに「今」必要だった。彼らにとってもこの作品のなかに点在する言葉たちは必要だったと思うし、私たちにとっても必要だと思う。そんな分岐点に、否「門出」にこの作品があって良かったと思う。

 

幼い頃「風穴をあける」という言葉は、荒々しくて少し怖かった。でも、今は違う。風穴をあけない限り、ドアを蹴破らない限り、始まらないこともあると知っているからだ。その先にあるのはきっと、仲間を乗せた車で、真っ直ぐな一本道で、青々とした空の下、ぐいぐいとスピードを上げて、リミッターを外して進んで行くだろう。そう期待している。

続・Love-tuneについて、思うこと〜きっと彼らのことだから〜

本当は

 

いつかこの日が来るんじゃないかと

 

どこかで分かっていたのだけれど。

 

 

事実を目の当たりにしたとき、私は「そっかぁ」と思った。寒空の下、大きく深呼吸をして「そっかぁ」と思った。

 

もうこの状態が戻らないことなど、どこかで分かっていて、それでも、諦めたら彼らの存在自体が「無かったこと」にされるんじゃないかとも思って、数ヶ月前にはブログも書いて、たくさんの反響もあって、今思うとたくさんの人を巻き込んでの、最後の悪あがきだったと思う。

 

現時点で思うところはたくさんあって、それはもうやるせなくて、寂しくて、怒りなのか憤りなのか、沸々と胸の内にはあるけれど、でもどこかほっとしていて。(それはきっと「不在」ということに悶々としなくていいこと、「不在状態に慣れていくこと」に対して悶々としなくていいことなんだろうけど)

 

事情を知ってから1時間弱でまだ全然受け入れられていないし、なんなら虚無感でいっぱいで、泣きも笑いもできなくて、部屋の鍵を開けるのにめちゃくちゃ手間取るくらいには上の空なのだけど、とりあえず今、Love-tuneのみなさんになにがいちばん伝えたいかなぁと考えたら、私は「だいすきだよ」じゃなくて「おつかれさま」だと思った。

 

きっとLove-tuneのことだから、

私たちのことをたくさん考えてくれただろう。

 

きっとLove-tuneのことだから、

私たちの前では笑っていてくれて

 

きっとLove-tuneのことだから、

私たちに最後の挨拶を残してくれたんだろう。

 

そうやってここまで歩んできた彼らだから、もう主体は彼ら自身であってほしい。やりたいことを、やりたいようにやってほしい。本当におつかれさま。本当に楽しかった。本当に素敵だった。本当に、ありがとう。たくさん言ってくれたけど、私だって、だいすきだよ。

 

 

「今日」がいつか来ると、分かっていた。

だから夜が明けたら「明日」もきっと来ると、そう思う。

「二列目センター」〜中心に在るということ〜

推しがグループを卒業する月になった。

今年の年末特番で推しの姿が見られないなんて、卒業が発表されるまで微塵も思っていなかった。

推しの卒業発表の直前に次回シングルの選抜発表があり、突然の「二列目センター」の立ち位置に一瞬「あれ?」と違和感を覚えたものの、彼女の実力はなにより私がよく知っているし、自分で自分を納得させていた。

 

若月佑美さんは、とてもまじめで不器用で、とてもまっすぐこちらと対峙してくれる。卒業特集が組まれた雑誌でも、同期はもちろん後輩たちも口を揃えてその人柄を称賛している。

それは数回しか握手会に行けていない私に対してもいつだってそうで、不思議と若ちゃんと目を合わせていると、するすると言葉が湧き出てくる。いつだって私の言葉を引き出してくれるし、いつだって自分の言葉を返してくれる。素直になれる推しという感覚が私にとって一番しっくり来る表現だったりする。たくさんいるファンのなかの、ほんの数回しか言葉を交わせていないしがない一人なのだけど、それでも私はそう思っていて、それが若ちゃんの魅力だなと思っている。

 

私は推しの「最後」に弱い。強い人などいないだろうが、とにかく弱い。

担当の退所前最後の公演に行けなかったこともずっと後悔しているし、オタク人生でひとつだけ過去の公演が観られるなら、絶対にその公演に行きたいと今でも思っている。そうしたらまだ今より推しの最後に強くなれたと思う。

今の担当の福ちゃんも「これが最後の仕事だと思ってやり切ったら次の仕事が来て、の繰り返し」とラジオで「最後」をリアルに考えたことをほのめかしていたし、今回若ちゃんも雑誌のインタビューで「周りの人たちにはギリギリまで言いたくなかった。きっと最後だからって、気を使わせるから(意訳)」と答えている。

 

担当や推しの口から出る「最後」という言葉は、ふとしたときにひやりと私の背中を撫でる。突然「もう見ることすらできない」状態に陥った経験がフラッシュバックする。その時期によく読んでいた本がある。

 

たとえば悲しみを通過するとき、それがどんなにふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備ができていた。喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。

 

江國香織「号泣する準備はできていた」より

 

とてもシンプルに感情と関係性とを言い得た言葉なのだけど、私はこの文章がとてもとても好きで、本編よりもこのあとがきの方を読み込んでいる。「確かにここにあったと疑いもなく思える心持ち」という言葉に、担当が姿を消したあの頃の私は、どれだけ救われただろう。あの頃の経験があって以降、自分の中で「オタ活のスタンス」の中心となる言葉になった。

 

今年いっぱいで私の大好きな乃木坂46から、大好きな推しの若月佑美さんと、乃木坂46を好きになるきっかけとなったいちばん最初の推しの西野七瀬さんが卒業をする。その後推しのいなくなったグループとどう接していくのかはわからない。けれど私の大好きな人たちが、確かにそこに存在したということを、私は知っている。色々な媒体で推しの卒業を目の当たりにするたびに泣いてしまうけれど、それでも私は彼女がそこにいたこと、グループを離れたあともその存在を目撃できるということを、しっかりと認識したいと思う。

 

それにしても今週末発表の卒業セレモニーの当落がとてもとても気になってそわそわしている。そわそわしているのでこれを書いている。シンプルにステージに立つ推しが観たい。でも卒業を目の当たりにするのが怖い。当たったら行くし、当たらなかったらスッパリ諦める。それだけ決めてそわそわしている。

 

でも私の女性アイドルの歴代の推したちは、卒業してからの方が推していて楽しい。若ちゃんのこれからの活動もきっとそうなるだろうとわくわくしている自分もいる。寂しいのも事実、わくわくしているのも事実だ。

 

だからきっと女性アイドルが所属グループから次のステージにひとり立ちすることを「卒業」って言うんだと思う。未来が楽しみだけど、切なくて、とても寂しい。この感情は、卒業式のあと、人が疎らな校舎で感じたことがある。あと少し、この感情を泳いでおきたい。「号泣する準備はできていた」今まさに、その時だと思う。

真夜中に、Love-tuneについて、思うこと

「ジュニア担になるのは楽しいだけじゃないよ」

 

私が初めてジャニーズJr.を好きになって、それまでデビュー組のオタクだった私は、現場に行き、担降りをするのか悩んでいたときにゼミの友人にそう言われた。その言葉はここ最近のLove-tune周辺に漂う不穏な空気を感じるたびに脳裏をよぎった。奇しくも当時の彼女の担当は安井謙太郎だった。

 

幸いなことにジュニア担になってから私は割とずっと楽しくて、現場にもメディア露出にも困らずに過ごしていたし、自担の退所はあれど別の道を健やかに歩んでいるのも見守ることができている。

 

でもここ半年は違った。

明らかに不穏なことが起きている。

 

ジュニア全体があれだけ統率を安井謙太郎に頼り、馬車馬のように森田美勇人をステージに立たせ続け、著名な原作のある映画にも舞台にもそれぞれのメンバーを出演させていたにもかかわらず、はたと姿が見えなくなってしまった。

 

明らかな不穏さに、それは数々の憶測が飛び交い、なにが本当なのかはわからない。ただただ平和に、穏便に、どうかまたLove-tuneが見たい、パフォーマンスが見たい、とにかく笑っていて欲しいと思っていた。まぁそれは相変わらず見たいけど。

 

でもそろそろ、言ってもいいよなと思う。

怒ってもいいよねと、リツイートで知ったブログを見て思った。意図とはずれるかもしれないけど。

 

私があまり声をあげなかったのは、グループの迷惑や足枷になるのが怖かったのもあるし、他グループの見せしめになるのが辛かったのもある。単独公演に行けなかった私が最後にLove-tuneを見たのはJr.祭の大阪公演が最後で、そのときにはSnowManSixTONESTravis Japanと共にジュニアを牽引するベテラン4グループでの合同公演だった。他にも多数のジュニア内グループが人気を博し、ステージに立つなか、Love-tuneだけが突如として表舞台から姿を消した。憶測が飛び交っていて真実はわからないが、ジュニア内でも私のように「どうか穏便に、波風立てずに」という風潮があってもおかしくはない。でもそれって彼らが描く「夢」なのか?と思う。「まぁでもお金もらってやってる仕事じゃん?」っていうのも一理あるけれど、でもそれでも応援している身としては、という葛藤もある。どうかLove-tuneだけでなく、ジュニア全体が、言いなりではなくやりたいことをやって欲しいと思う。「Love-tuneみたいにはならないように」とか、そんな見せしめにはしてほしくない、なんて時々思っていた。9割型「リボルバーまわしたーい」で生きていても、1割はまじめに考えてました。

 

事務所のタレントたちに関して、デビュー組ですら自分の意思で出入りしているなか(入ってはいないか)「それでも守りたいジャニーズイズムってなんなのか?」とぼーっと考えている。偉大なるピースが次々と抜け、風向きが変わりつつあるジャニーズ全体にとって、核心となるものはなんなのか。じわじわと綻びが出始めているこれまでの事務所の脅威が、勢力が、もっともっと崩れていって欲しい。私たちが、タレントたちが魅了されている「ジャニーズイズム」って、もっと全然違うもので、事務所の権力とか脅威とか、そういうものじゃないんだよなぁ。絶対違う。

正直「やりたいことをやる」ためだけなら別にジャニーズじゃなくても十分成功できる世の中になっているし、そこに拘る必要などないので、見切りをつけるのも1つだとは思う。でもそれでも、私たちが、彼らが魅了された「ジャニーズ」って別にある。その答えが見えた先に、またLove-tuneが笑ってステージに立っていたらいいなと思う。

 

でも思うよ、この半年、失ったものは大きい。Love-tuneじゃなくて、事務所が。

まさかこのままじゃ、終わらないでしょう。