そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

ブレーキに足かけんじゃねーぞ!〜「ニート・ニート・ニート」鑑賞記録

幼い頃「風穴をあける」という言葉が、荒々しくて少し怖いと思っていた。

 

スクリーンのなか「助けに来てやったぞ」とドアが蹴破られた。安井謙太郎だった。久しぶりの「公の姿」だった。いつも見ていた頼もしい最年長から発せられた言葉に、頭をガツンと殴られたかのような衝撃だった。そうだこの人はそういうことを「発する」人だった。

 

Love-tuneからの報告の後、最初の休日に、ふらふらと「ニートニートニート」の2度目の鑑賞をした。自分でもなんでなのかは分からないけれど、取り憑かれたかのようにチケットを予約購入していた。メンバーの姿を見ないとやっていられなかったんだと思う。

 

「今のLove-tuneには、今の謙ちゃんには、きっとレンチの人格が必要だったんだと思う。」それは私が映画を観たあと、いちばんに思ったこと。賢くて冷静で、でも沸々と情熱が溢れている彼らに、きっとレンチの荒々しさや「真っ当さ」は確かに必要だった。少なくとも私はそう思う。

 

破茶滅茶でドタバタと進むストーリーのなかで、主要キャストそれぞれ、目を伏せるシーンがある。目を伏せて、目を逸らして来た4人が、最後には目を合わせて、対峙する。対峙できるようになるまで、きっと彼らは人より時間がかかって、覚悟が必要で、だから「ニート」であったんだと思う。

 

彼らが過去に見切りをつけ、前を向き、未来と対峙したとき、そこにあるのは北海道の真っ直ぐと伸びた一本道だった。遮るものがない、鮮やかな自然に囲まれた、真っ直ぐと伸びた一本道だった。仲間たちが詰め込まれた車を、ただひたすらに、真っ直ぐに走らせる。それはまるで、彼ら自身を見ているかのような感覚だった。「ブレーキに、足、かけんじゃねーぞ」と劇中の安井謙太郎の声が頭の中でこだまする。それはまさに、私たち応援する側の気持ちそのものだった。

 

「不幸のなかで1人っきりになっても、毅然としてろよ」と涼やかに強く言い切る安井謙太郎は、確かに安井謙太郎そのものであったし、でも確かにレンチでもあった。そしてまさに今、彼がその姿をもって証明している。

 

彼らのこれまでとこれからの間に、この作品が置かれたことは、偶然かもしれないけれど、でも確かに「今」必要だった。彼らにとってもこの作品のなかに点在する言葉たちは必要だったと思うし、私たちにとっても必要だと思う。そんな分岐点に、否「門出」にこの作品があって良かったと思う。

 

幼い頃「風穴をあける」という言葉は、荒々しくて少し怖かった。でも、今は違う。風穴をあけない限り、ドアを蹴破らない限り、始まらないこともあると知っているからだ。その先にあるのはきっと、仲間を乗せた車で、真っ直ぐな一本道で、青々とした空の下、ぐいぐいとスピードを上げて、リミッターを外して進んで行くだろう。そう期待している。

続・Love-tuneについて、思うこと〜きっと彼らのことだから〜

本当は

 

いつかこの日が来るんじゃないかと

 

どこかで分かっていたのだけれど。

 

 

事実を目の当たりにしたとき、私は「そっかぁ」と思った。寒空の下、大きく深呼吸をして「そっかぁ」と思った。

 

もうこの状態が戻らないことなど、どこかで分かっていて、それでも、諦めたら彼らの存在自体が「無かったこと」にされるんじゃないかとも思って、数ヶ月前にはブログも書いて、たくさんの反響もあって、今思うとたくさんの人を巻き込んでの、最後の悪あがきだったと思う。

 

現時点で思うところはたくさんあって、それはもうやるせなくて、寂しくて、怒りなのか憤りなのか、沸々と胸の内にはあるけれど、でもどこかほっとしていて。(それはきっと「不在」ということに悶々としなくていいこと、「不在状態に慣れていくこと」に対して悶々としなくていいことなんだろうけど)

 

事情を知ってから1時間弱でまだ全然受け入れられていないし、なんなら虚無感でいっぱいで、泣きも笑いもできなくて、部屋の鍵を開けるのにめちゃくちゃ手間取るくらいには上の空なのだけど、とりあえず今、Love-tuneのみなさんになにがいちばん伝えたいかなぁと考えたら、私は「だいすきだよ」じゃなくて「おつかれさま」だと思った。

 

きっとLove-tuneのことだから、

私たちのことをたくさん考えてくれただろう。

 

きっとLove-tuneのことだから、

私たちの前では笑っていてくれて

 

きっとLove-tuneのことだから、

私たちに最後の挨拶を残してくれたんだろう。

 

そうやってここまで歩んできた彼らだから、もう主体は彼ら自身であってほしい。やりたいことを、やりたいようにやってほしい。本当におつかれさま。本当に楽しかった。本当に素敵だった。本当に、ありがとう。たくさん言ってくれたけど、私だって、だいすきだよ。

 

 

「今日」がいつか来ると、分かっていた。

だから夜が明けたら「明日」もきっと来ると、そう思う。

「二列目センター」〜中心に在るということ〜

推しがグループを卒業する月になった。

今年の年末特番で推しの姿が見られないなんて、卒業が発表されるまで微塵も思っていなかった。

推しの卒業発表の直前に次回シングルの選抜発表があり、突然の「二列目センター」の立ち位置に一瞬「あれ?」と違和感を覚えたものの、彼女の実力はなにより私がよく知っているし、自分で自分を納得させていた。

 

若月佑美さんは、とてもまじめで不器用で、とてもまっすぐこちらと対峙してくれる。卒業特集が組まれた雑誌でも、同期はもちろん後輩たちも口を揃えてその人柄を称賛している。

それは数回しか握手会に行けていない私に対してもいつだってそうで、不思議と若ちゃんと目を合わせていると、するすると言葉が湧き出てくる。いつだって私の言葉を引き出してくれるし、いつだって自分の言葉を返してくれる。素直になれる推しという感覚が私にとって一番しっくり来る表現だったりする。たくさんいるファンのなかの、ほんの数回しか言葉を交わせていないしがない一人なのだけど、それでも私はそう思っていて、それが若ちゃんの魅力だなと思っている。

 

私は推しの「最後」に弱い。強い人などいないだろうが、とにかく弱い。

担当の退所前最後の公演に行けなかったこともずっと後悔しているし、オタク人生でひとつだけ過去の公演が観られるなら、絶対にその公演に行きたいと今でも思っている。そうしたらまだ今より推しの最後に強くなれたと思う。

今の担当の福ちゃんも「これが最後の仕事だと思ってやり切ったら次の仕事が来て、の繰り返し」とラジオで「最後」をリアルに考えたことをほのめかしていたし、今回若ちゃんも雑誌のインタビューで「周りの人たちにはギリギリまで言いたくなかった。きっと最後だからって、気を使わせるから(意訳)」と答えている。

 

担当や推しの口から出る「最後」という言葉は、ふとしたときにひやりと私の背中を撫でる。突然「もう見ることすらできない」状態に陥った経験がフラッシュバックする。その時期によく読んでいた本がある。

 

たとえば悲しみを通過するとき、それがどんなにふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備ができていた。喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。

 

江國香織「号泣する準備はできていた」より

 

とてもシンプルに感情と関係性とを言い得た言葉なのだけど、私はこの文章がとてもとても好きで、本編よりもこのあとがきの方を読み込んでいる。「確かにここにあったと疑いもなく思える心持ち」という言葉に、担当が姿を消したあの頃の私は、どれだけ救われただろう。あの頃の経験があって以降、自分の中で「オタ活のスタンス」の中心となる言葉になった。

 

今年いっぱいで私の大好きな乃木坂46から、大好きな推しの若月佑美さんと、乃木坂46を好きになるきっかけとなったいちばん最初の推しの西野七瀬さんが卒業をする。その後推しのいなくなったグループとどう接していくのかはわからない。けれど私の大好きな人たちが、確かにそこに存在したということを、私は知っている。色々な媒体で推しの卒業を目の当たりにするたびに泣いてしまうけれど、それでも私は彼女がそこにいたこと、グループを離れたあともその存在を目撃できるということを、しっかりと認識したいと思う。

 

それにしても今週末発表の卒業セレモニーの当落がとてもとても気になってそわそわしている。そわそわしているのでこれを書いている。シンプルにステージに立つ推しが観たい。でも卒業を目の当たりにするのが怖い。当たったら行くし、当たらなかったらスッパリ諦める。それだけ決めてそわそわしている。

 

でも私の女性アイドルの歴代の推したちは、卒業してからの方が推していて楽しい。若ちゃんのこれからの活動もきっとそうなるだろうとわくわくしている自分もいる。寂しいのも事実、わくわくしているのも事実だ。

 

だからきっと女性アイドルが所属グループから次のステージにひとり立ちすることを「卒業」って言うんだと思う。未来が楽しみだけど、切なくて、とても寂しい。この感情は、卒業式のあと、人が疎らな校舎で感じたことがある。あと少し、この感情を泳いでおきたい。「号泣する準備はできていた」今まさに、その時だと思う。

真夜中に、Love-tuneについて、思うこと

「ジュニア担になるのは楽しいだけじゃないよ」

 

私が初めてジャニーズJr.を好きになって、それまでデビュー組のオタクだった私は、現場に行き、担降りをするのか悩んでいたときにゼミの友人にそう言われた。その言葉はここ最近のLove-tune周辺に漂う不穏な空気を感じるたびに脳裏をよぎった。奇しくも当時の彼女の担当は安井謙太郎だった。

 

幸いなことにジュニア担になってから私は割とずっと楽しくて、現場にもメディア露出にも困らずに過ごしていたし、自担の退所はあれど別の道を健やかに歩んでいるのも見守ることができている。

 

でもここ半年は違った。

明らかに不穏なことが起きている。

 

ジュニア全体があれだけ統率を安井謙太郎に頼り、馬車馬のように森田美勇人をステージに立たせ続け、著名な原作のある映画にも舞台にもそれぞれのメンバーを出演させていたにもかかわらず、はたと姿が見えなくなってしまった。

 

明らかな不穏さに、それは数々の憶測が飛び交い、なにが本当なのかはわからない。ただただ平和に、穏便に、どうかまたLove-tuneが見たい、パフォーマンスが見たい、とにかく笑っていて欲しいと思っていた。まぁそれは相変わらず見たいけど。

 

でもそろそろ、言ってもいいよなと思う。

怒ってもいいよねと、リツイートで知ったブログを見て思った。意図とはずれるかもしれないけど。

 

私があまり声をあげなかったのは、グループの迷惑や足枷になるのが怖かったのもあるし、他グループの見せしめになるのが辛かったのもある。単独公演に行けなかった私が最後にLove-tuneを見たのはJr.祭の大阪公演が最後で、そのときにはSnowManSixTONESTravis Japanと共にジュニアを牽引するベテラン4グループでの合同公演だった。他にも多数のジュニア内グループが人気を博し、ステージに立つなか、Love-tuneだけが突如として表舞台から姿を消した。憶測が飛び交っていて真実はわからないが、ジュニア内でも私のように「どうか穏便に、波風立てずに」という風潮があってもおかしくはない。でもそれって彼らが描く「夢」なのか?と思う。「まぁでもお金もらってやってる仕事じゃん?」っていうのも一理あるけれど、でもそれでも応援している身としては、という葛藤もある。どうかLove-tuneだけでなく、ジュニア全体が、言いなりではなくやりたいことをやって欲しいと思う。「Love-tuneみたいにはならないように」とか、そんな見せしめにはしてほしくない、なんて時々思っていた。9割型「リボルバーまわしたーい」で生きていても、1割はまじめに考えてました。

 

事務所のタレントたちに関して、デビュー組ですら自分の意思で出入りしているなか(入ってはいないか)「それでも守りたいジャニーズイズムってなんなのか?」とぼーっと考えている。偉大なるピースが次々と抜け、風向きが変わりつつあるジャニーズ全体にとって、核心となるものはなんなのか。じわじわと綻びが出始めているこれまでの事務所の脅威が、勢力が、もっともっと崩れていって欲しい。私たちが、タレントたちが魅了されている「ジャニーズイズム」って、もっと全然違うもので、事務所の権力とか脅威とか、そういうものじゃないんだよなぁ。絶対違う。

正直「やりたいことをやる」ためだけなら別にジャニーズじゃなくても十分成功できる世の中になっているし、そこに拘る必要などないので、見切りをつけるのも1つだとは思う。でもそれでも、私たちが、彼らが魅了された「ジャニーズ」って別にある。その答えが見えた先に、またLove-tuneが笑ってステージに立っていたらいいなと思う。

 

でも思うよ、この半年、失ったものは大きい。Love-tuneじゃなくて、事務所が。

まさかこのままじゃ、終わらないでしょう。

Hey!めっちゃ元気やで! #松竹座で同窓会 あの頃がJr.担の青春時代な気がして

ウェルカム三連休!!!!!!!!愛してるぜいえあ!!!!!!!!

というわけで、絶賛咽頭炎で寝付けないので参加しようと思っていた企画に参加しようと思います。みんなもこの不安定な季節、体調管理に気を付けてくれよな!!!!!正しいテンションがわからなくなってきた深夜1時半の私です。

 

企画については以下のリンクをご参照ください。私が購読させてもらっているブログです。

 

ichigonokimi.hatenablog.jp

 

 

さてさて、私が関ジュ担として初めて松竹座に足を踏み入れたのは、チケットを確認したところ2013年の春松竹でした。前年の秋に関ジャニ∞の「ジャニ勉」という番組内で金内柊真さんに一目ぼれし、うだうだと雑誌を漁る何か月かを過ごしたのちにクラスメイトに「なあ、チケットあるから行かへん?」と誘われて行ったのがその初松竹だった。奇跡か。当時の松竹座のチケットがたまたま当選したものの一緒に行く相手がいないという事案も奇跡だし、そこにうだうだと「可愛い子がいるけどジュニアの現場って勝手がよくわからない」とほざく私に白羽の矢が立つという奇跡。そこで初めて「担当にうちわを見つけてもらう喜び」を知ることになり、どっぷりと沼に沈んでいく。

 

振り返ると「あの頃の松竹座」には「松竹のお姉さま」たちが居て、どこかギラギラとした殺伐とした雰囲気が漂っていた。それは「マウンティング」と揶揄されるものというより、どこか「プライド」があったように思う。「私はこれくらい全力で推している」というマウンティングではなく「まあこれくらい当然よね」というプライドがその頃の松竹座にはあったと思う。この微妙なニュアンス、伝わります?それはファン側だけでなくステージのジュニアたちからも溢れていて、初めての「ジュニアだけのコンサート」を終えた私はとても衝撃だった。とてつもなく楽しいものを見つけてしまったと、これからのオタクライフにわくわくしていた。

 

友人が増えて松竹座に通うようになると、現場期間中の「放課後感」がとても楽しかった。共通の友人が入る日に休日だと、自分は入らなくても難波に行き、スタバでファンレを書いたり一緒に食事をしたりとわいわいと過ごす時間が楽しかった。「行けば誰かがいて、相手をしてもらえる」というのも、デビュー組担だったときにはあまりなかったので新鮮だった。ツイッターで知り合って仲良くしてくれていた「松竹のお姉さま」と食事の約束を取り付けたときも嬉しかった。

結局現場は全部楽しかったけど、その前後でオタクたちとわいわいがやがやするのが一番楽しかった気がする。普通に大学生活を送っていたら出会わないであろう人たちと一緒に食事をし、会話をするのは現場そのものと同様にわくわくした。今では当時の友人たちとは疎遠になっているけれど、なぜかお姉さま方とは関係が続いていて、呑んだり泊まったり、友人の愛娘の動画をめちゃくちゃリピートしたりしている。

そうそう、二十歳を超えたくらいの「大人っぽくなりたい」時期にそうやって幾多の「お姉さま」たちに「関ジュ担」を叩きこまれた(言い方)ので、キレイ目なファッションやメイクを研究するのも楽しかった。ヒールを普段から履くようになるのも、自分がピンクよりも赤いリップの方が似合うと知るのも、私はそのころだった気がする。一人っ子の私にとって「少し大人な友人」というカテゴリーが生まれたのもあの頃の松竹座だった。

あと私は当時で言う「年下組」の担当で、その年下組のオタクでコンレポを詳細にする人が少なめだったので、コンレポをツイートして反応があるのも嬉しかった。もともと文章を読んだり書いたりするのがとても好きだったので、自分の記録に反応があることにもとってもわくわくした。

 

さて、前述のとおり、私の担当の金内柊真さんはその後2015年に退所をし、次なる夢を追うことになる。そのため私はその後松竹座の中に入ったのは一度だけで、ある種「オタクとしての華の時代」はそこで終わった気がする。現場前後の放課後感も相まって、どこか高校時代のような青春感があった。なにをしていても結局楽しい時期だった。こうやって企画が立ち上がるくらいだから、きっと当時の方々にも、少しはそんな感覚があるんじゃないかなあ。コンサートそれぞれに思い出はたくさんあって、どれも素敵な思い出なんだけれど、「あの頃の松竹座」ってなると私にとっては友人たちとのかかわりが一番に出てくる。あの頃の松竹座が刺激的で楽しかったのは演者があってこそではあるけれど、そこに「集うこと」も大きかった。いまだに飲みながら「あの時担当が」「あの曲良かった、また見たい」などと話題になるくらい、とにかく同じものに夢中だった。

 

さてさて、この企画におけるある種メインの話題。

今私がなにに夢中か?という話題に行きましょう。

 

まず私は今、ふぉ~ゆ~の福田悠太さんのファンをしています。せかいいちかっこいい。

あとひっそりとふんわりとLove-tune長妻怜央さんのファンでもあります。(今現場どころかグループとしても露出がなくて悲しいです、とても。)

そのため足を運ぶのが主に劇場で、観劇主体のオタクをしています。

また乃木坂46若月佑美さんや元AKB、NMB48梅田彩佳さんのゆる~いオタクでもあるので、こちらもやはり観劇やSNS主体のオタクをしています。

文学部出身ということもあり、もともと舞台・お芝居が好きだったので、今までで一番落ち着いたオタクライフだと思う反面、突発的に「うちわが持ちたい!C&Rしたい!」とコンサート欲に苛まれることがあります。その欲望がピークに達したときに作った怜央くんのうちわを使う現場をください。現場がないなら私の家の下に来てくれたら振ります。2階席のうちわに気づく体験がしたいです。(不審者)

 

あとコンレポ経験からかはわかりませんが、こうして自分の考えていることや感じたことをブログやツイートにしたためることが相変わらず好きで、ゆるゆると更新しています。いろいろな人に紹介したい、知って欲しいと思った物事・作品についてもつらつらと書いているので、これを機にチラ見していただけたら幸いです。だいたい真夜中にほろ酔いで書いていることが多いので乱筆ですが、故に本音です。ちなみに今日は真夜中ですが風邪をひいているのでアルコールは摂取していませんのでご安心を。

 

ねえこんな感じでいいのかなあ?

ブログだとひとりよがりで不安になるから、ほんとに同窓会ができたらいいのにね(笑)

 

結論!!!!!あのころの松竹座、めちゃくちゃに楽しかった!!!!!!!

以上!!!!!私は寝ます!!!!!!!!!!!(気づいたら3時過ぎてて引いた)

元担が本を出版した話

出版の知らせを聞いたときも、発売日も、怖くて読むものかと思っていた。でも発売日はそわそわしていたし、その日の夜に近所の本屋2件を回って、取り扱いがなくて無意味に私は切れていた。「なんで置かないんだ」とぷんすかしていた。「買うものか、読むものか、私の好きだったステージの上の彼はもういないんだ」と思う自分に反して「こうなったら私が買ってやる」と、別件の用事とかちあわせて、トークイベントの会場となった本屋に行った。取り扱いがないなんてことは絶対にないと思って。取り置きとかじゃなくて、陳列されているところを見たかった。私、本棚に収まっている本がいちばん好きなのです。仕事だったのでトークイベントには参加しなかったけれど、会場チラ見はした。「ここに居たんやなぁ」と思った。さながら寺巡り。

 

それはさておき、繁忙期や提出物が重なりバタバタしていたので今日になってようやくきちんと読むことができた。友人との約束で大阪に向かうまでの往復の移動時間で読み切れる文量で良かった。

 

内容に関しては割愛するが、まさか、こういう形でまた「僕のことを応援してくれたこと、絶対に後悔させません」なんて言われるなんて思わなかった。何度もステージに立つ彼から言われたこの言葉を、また、言われるとは。後悔なんて一度もしたことがなかったのに、それは彼の中ではこれから先も続いていた。

 

彼の方が考え方も生き方も何もかもが大人で、私は実際に応援していた時も何度もそれに救われていたし、自分に呆れることもあった。彼のことを応援し続けるうちに、5つも年下だということを忘れるくらいに彼は大人だった。

 

退所が明るみになってから書いた最後のファンレターにも書いたが、彼ならどこに行っても大丈夫だと思った。実際に腹を割って話したことなどないのに、なぜかそんな絶対的な信頼があった。それってきっとすごいことで、それは今でも思う。うまく言えないけれど、彼はすごい。

 

現時点でなにがしたいんだと思わないことはない(笑)が、その信頼が私にはあるので、陰ながら、なんとなく応援していようと思う。何をするでもなく。彼が、彼の思う幸せを手にしてくれたら嬉しい。そんな距離感でこれからも。

 

あっさりとした感想だけど、そんなことをふと思った次第です。夢中になって書いていたら特急に乗り換えるタイミングを見失った準急電車からお送りしました。お腹すいた。

そう、それは呼吸をするように。〜映画「カランコエの花」を観て

人ってきっと、呼吸をするように、誰かを好きになって、たまらなく幸せな気持ちになるんだと、幼い頃は思っていた。

世間で言う「大人」になるにつれて、それがなんと難しいことなのかと思うようになった。家族だけでなく同僚や上司、友人同士でも話題になる「結婚」のワードに頭を悩ませる時期もあるし、でもその反面「結婚って本当にしなければならないのか?」と思う自分もいる。

「この年齢で」「彼氏がいない」私は「女性芸能人が好き」だからと職場で「冗談として」「そっちの気がある」とからかわれる。ここで波風を立てないためには笑って「違いますよぉ〜!」と言うのが正解。でも心の中で私は言う。「だったらなんだ」「てめぇには関係ねぇだろ」と。あらまぁお口が悪い!

 

「だったらなんなんだ」と言うのがLGBTに対しての私の感覚で、世間がやんや言うのを見ながら「別にそういう人なんやなぁ、としか私は思わんけどなぁ」と思っていた。確かにセクシャリティがストレートの人との恋愛では齟齬があるかもしれないが、私の中では「ストレート同士だろうと両想いになるのは奇跡やろ」という感覚なので、別にそうなんやなぁ、としか思わなかったりする。

 

女子大女子寮暮らしで4年間過ごした上に浮いた話が少ししかなかった私は、あるとき母から夏休みに正座で改まって言われたことがある。「あなたの恋愛対象は女性か?」と。テレビを見ていたときにふと言われたので、咄嗟に笑いながら「違うよ」と答えたのだが、母は表情を崩さずに「真面目に話をしているの」と一蹴した。私は驚きながら改めて否定をした。でも今なら分かる、母は受け入れる覚悟をしていたんだと。

 

映画「カランコエの花」を観てきた。今まさに、帰り道の電車でこれを綴っている。とってもみずみずしくて、儚くて、飾り気がなくて身体に染みていくような映画だった。観ながら「自分も当事者である」ということを自然と考えた。私が女性であるということと同様に、現在「LGBT」とひとくくりにされているひとたちは当たり前に存在しているということ。自分も「当事者」であることを、きっと私たちは忘れてその話題に関して過剰に敏感になっている。と私は思う。

 

私は「受け入れられない側」の感覚がおそらく元からあまりないので「受け入れる」というよりかは「認識する」くらいの感覚で生活していて、もっとそれくらいライトに感じてもいいものなんじゃないのかな、なんて思うんですよね。「あああの子は彼が好きなんだ」というのと同じ感覚なんだけれど、伝わるのか否か。

 

監督さんのトークショーも運良く参加できて、その中で印象的だったのは「センシティブだと敬遠するのは拒絶するのと同じ」(だいぶ意訳)という話で、この言葉は私が普段抱いている感覚をすっと言葉にして飲み下してくれた気がしてとっても好き。そう、だからどこかで考えなきゃいけないし、敬遠するこたぁないし、考えるきっかけというか、そういう大袈裟なことでなくて、せめて「LGBTって敬遠することではなくて自分も当事者なんだなぁ」という感覚だけでも、この映画を通して考えてみて欲しい。

 

「みんなが生きやすく」という監督さんの言葉は本当で、考え方や生き方が多様化し始めている今だからこそ、考える、感覚を養う、実りのある作品です。どの人たちも素直で純粋で、でも捉え方が違って、だからこそするっと自分のなかに取り込まれて行く、不思議な感覚の作品です。揺れるバスのシーンと、ラストの音声シーンが私は大好きで、胸が締め付けられる感覚でした。私も誰かを好きになりたいと、今では素直な気持ちで思います。