そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

映画「娼年」を観て考えた様々な「寄り添う」ということ

日夜を問わず部屋の中の四角く切り取られた画面から垂れ流しになる報道に辟易としていた。

 

幼いころから思春期を経て、成人になってからも、所謂「性行為」であるとか「異性間交流」というものに関して、厳しく育てられてきたと思う。実際私自身もそれらに関して決して積極的ではない。まだまだ幼いころはそれらに対して嫌悪感すら抱くこともあったし、実際にそういう感情を剥き出しにされると、熱を帯びるどころか急激に冷めることすらあった。

 

人の心はとても繊細であることなど、それは生きていたら自分自身の心を持って痛感してるはずなのに、大人になればなるほどそれを隠すのがうまくなる。繊細であることは「多くの他者」と生きていくときに足枷になる。社会の中で人は繊細であっても強靭でなくてはならず、それらの両立は故意には難しい。「繊細でないつもり」で「強靭なつもり」で己を隠している人は多いと思う。それは言わば鎧のようなもので、実際の心にあるものはみな平等に繊細なまま。鎧を身にまとっていようとも、急所をつけば命はない。そんな当たり前のことを、いつの間にか忘れ去られているような気がしている。

 

SNSの普及によって世界中の女性の声が大衆に響くようになった。「me too」の風潮はもっと広く浸透していくといいなと思っている。

それに伴い露呈してきた数々の性に関する言動に対し、なんと愚かで浅はかで忌々しく、なぜこれまで見過ごされていたのかと腹立たしくなる。けれど半面飽きずに連日連夜「悪しき性に関する報道」が続くのは悲しい。これまでの膿の排出ならまだしも、同じ話題をガムのように味がなくなるまで噛み続けているようで、見ているこちらとしては「性」というものに対しての嫌悪感を植え付けられているような気さえする。

 

そんな中、友人の勧めで「娼年」という映画を観てきた。

娼夫となった主人公が性行為をするなかで次第に「人に寄り添うこと」を身に着けていくのだが、 現代における「性行為とはなんなのか」ということを改めて考える映画だと私は思う。娼夫は犯罪行為だのなんだのという声は「映画」として考えた際には取るに足らない議論なので割愛。更に原作があるとはいえ公開中なのであまり内容には触れない。

 

本編のなかで主演の松坂桃李さんが娼夫として出会ったどの女性に対しても、優しく穏やかに接し思いやる描写がある。必ずきちんと目を見て会話し、相手の話を聞いたうえで自分の意見を述べるし、必ず名前を呼ぶ。「商売なんだから」と言われたら終わりだが、連日のように「同意も思いやりも何もない女性を見下したような性的な事例」がそれはそれは溢れかえるなかにいる女性としては、例え商売だろうと前者の方が美しいと思う。そう、そもそも性行為とはただの生殖行為ではなくて、「愛し合う恋人同士が心身ともに寄り添うための行為」であるべきなんですよね。「心の痛いところを探し当てて寄り添う」というようなセリフ(肝心なところでうろ覚え)があったように、身にまとっている衣類と心の鎧をひとつずつ外し、それはそれは繊細な「心と体」に寄り添うことが本来のあるべき「性行為」の姿だと改めて考えなおす作品でした。

 

「同意があった上で相手の痛みに寄り添い満たす性行為と、同意も思いやりも何もない相手を見下したような性行為と、どちらが正当か」と尋ねたらきっとだれも間違うことはないのに、何故よりによって幾重にも鎧を重ねてきた「大人たち」はそれに気が付かないのか不思議でならない。鎧を重ねるうちに内包されたものの繊細さに気づけなくなるのなら、私は鎧なんていらない。それに鎧など身に着けなくても誰かと寄り添うことができたなら、きっと私はそれがなくても強くなれる。

 

ここまで書き連ねてきて、ようやく気づいたことがある。そもそも「SNSがあるから」女性の声が強くなったわけじゃない。もともと女性にだって声はあったはずだ。女性自体が強くなった上でSNSというツールを手にしたから、更にその声を見聞きし真摯に受け止められる男性もいるから、ここまで世界中で問題視されるようになったんだと思う。

多くの人がツールの発達にばかり言及するけれど、女性も男性も時代の流れなのかなんなのか、性に関する認識においてだんだんと寄り添えるようになっているからこそのこの風潮なんだと思う。声があがり事態が認識され、「悪がなんなのか」という認識を社会として人として寄り添いあうことが今のこの世界的な風潮であって、そこにビジネス的な云々かんぬんは必要ないはず。多様化の中でそんな時代錯誤は「古の国・日本」においても浮き始めているのかもしれない。

かつて存在に名前を付けてくれた渋谷すばるという人の話

何度目覚めてもそれは決して夢ではなかった。

むしろ目覚めるたびにまざまざと現実であるということを認める気分だった。

 

私の青春と私の中の自由は一つのピースを失うことになった。

関ジャニ∞から渋谷すばるが姿を消すことなど、誰が想像しただろう。

 

私はもうすでに「エイター」と名乗れるような存在ではなく、「かつてエイターと呼ばれた者」くらいの存在なのだけれど、エイターであった頃が自分の中のオタクの基盤であり、今現在親しくしているオタクの友人たちの大半がエイターもしくはそれを通過してきた者たちだ。それまで交わることがなくても、同じグループを好きでいるという共通項が何年も私たちを繋ぎ続けている。

 

私たちの存在は渋谷すばるによって名前が付けられた。

それは同じ時間を共に過ごし、楽しみ、同じ音楽を聴き、同じことでお腹を抱えて笑い、人情に泣き、でも最後には笑って「最高で最強」と別れる名のない私たちに、一つのアイデンティティを与えるものだった。

名づけるということはそれはそれは責任の重いもので、ファンにとってはアイデンティティでもありステータスでもあった。悪い言い方にすればある種の束縛であり呪縛であった。でも後者になることはないくらい、彼らはいつでも真摯で溌剌としていて、名のないオタクにアイデンティティを与えてしまうという重い責任も軽々とこなしていた。

 

そんな名付け親がグループを去るという衝撃を、私は阪急電車の中で受けることになった。数日前のスクープ記事は1ミリも信用せず「いやだって、すばさんだぜ?すばさんが辞めるわけないやん」くらいの感覚だった。この圧倒的信頼感。「会見するなんて、本当みたいじゃん」なんて思いながら電車が停まったのは高槻市で「ヒナちゃん大丈夫かいね」なんてふわふわした感覚だった。

 

私はかれこれ10年ほど錦戸担だったので「グループを去る者側のファン」の経験もしたし、同様に上田担でもあったので「グループに残る者側のファン」の経験もしているが、まあいつまで経っても慣れないし心苦しい。いまやSMAPが分裂するような世界なので、なにが起きてもおかしくはないだろうとはわかっている。頭ではわかっている。でも、それでも、それでも寂しくて、悲しくて、これまでのすべてを置き去りにしても追うものはなんなのか、ついつい考えてしまう。でも私たちを繋ぎとめてくれた素敵な人が、最強な才能を手にしていて、最高を目指したいという夢を抱いたのなら、きっとそれはもう、それこそもう、メンバーも背中を押すしかなかったんだと思う。頭では分かっていても寂しさは湯水のように溢れかえるし、曲を聴くたびに虚無感に苛まれる。それを昨日から延々と繰り返している。

 

グループの真ん中には三馬鹿の年長三人が居て、三人がいたから関ジャニ∞関ジャニ∞だった。年下のメンバーはいつまでも年長三人のことを尊敬し続けていくし、年長三人は年下のメンバーのことを慈愛に満ちた眼差しを向け続けていくものだと思っていた。そんななか、村上信五がさらりと「村上信五」として言った「おさななじみ」という言葉は、これ以上のない関係性を表した言葉だったと思う。彼にとって渋谷すばるとはメンバー以前の問題で、確かにおさななじみという存在だった。

 

私はまだ受け入れられていない。エイターを通過してしまった私でさえ受け入れられないのだから、きっと現役のみなさんは言い表せないくらい取り乱しているだろう。すぐになんて受け入れることは出来ないもので、それでもファンは虚無感を抱えたまま、ついていくしかないんです。ただただ、時間を重ねて、寂しさを紛らわせるしか、きっとないんです。終着地点を見つけられなかったくせに、酔った勢いでつらつらと書き連ねましたが、きっといつかまた、一緒に歌ってくれると信じて、背中を押すしかないんでしょう。

 

今度はきっと、自分自身に名前を与えるのであろう彼に。

幸多からんことを、祈って。

 

アイドルオタクの普段使いコスメ○2018春

ただの自分用の記録でございます。

知ってる人のメイク道具とかポーチの中身とか鞄の中身とか見るのとっても好きなので、なんとなくやりたくなりました。(笑)

 

○基本情報○

職業はクリニックの事務とコンビニ店員の掛け持ち。後者は超自由なので割愛して、ここからは前者の受付事務の仕事のときのメイクについて書いていきます。職場で言われているのは「派手でないこと」と「健康的であること」くらいです。夏以外仕事中はマスクを着用しています。

 

○ベースメイク○

キス マットシフォンUVホワイトニングベースN01 ライト 37g https://www.amazon.co.jp/dp/B01N1RR7LL/ref=cm_sw_r_cp_api_CPmYAb9BA587R

マット肌がとっても好きです。マット肌にしたくて色々試して今はこちらを使用しています。可もなく不可もなくという感じかなぁ。

夏場はこちらです。

セザンヌ 皮脂テカリ防止下地 https://www.amazon.co.jp/dp/B00TESOQCC/ref=cm_sw_r_cp_api_lTmYAbS3HP57D

これはコスパ最強で最高の仕上がりです。冬場の乾燥シーズン以外はこちら。新作も出たから早く使いたいな〜!

 

レブロン カラーステイメイクアップD150 https://www.amazon.co.jp/dp/B00OXDE1PA/ref=cm_sw_r_cp_api_1UmYAb5A21JHP

昔から赤ら顔がコンプレックスなのでファンデはリキッド派です。コンプレックスがあるのでカバー力ないと絶対嫌な人です。そしてそんなコンプレックスを感じないくらいこいつはすごい。コスパも持ちも良くてカラバリも豊富で嬉しい。何本目か分からないくらいリピートしています。浮気しない。愛してる。

 

キャンメイク マシュマロフィニッシュパウダーML マットライトオークル 10g https://www.amazon.co.jp/dp/B01N2VT6WY/ref=cm_sw_r_cp_api_8ZmYAbZ3KEMJQ

みなさん経験ありませんか?持ち運びポーチの中でパウダーぶちまけた経験。私はある。十代の頃それをして以来大人になってもプチプラパウダーしか持ち運ばなくなりました。まだ許せるから。そしてその中で出会ったこの人最高です。これも浮気しない。マット肌派はマストです。教えてくれた某お姉様ありがとう。パウダーと同じくらい愛してる。

 

チークは使用期限無視して大学生の頃から使ってるので出てこなかったけど、インテグレートのピンク系のものを使ってます。超ベーシック。単に残ってるから使っています。何年ものなのかもはや分からない…。まぁ職業柄冬からマスク生活なのでほぼチークしてないけど…。

 

○アイメイク○

キャンメイク ミックスアイブロウ 04 グレイッシュブラウン 2g https://www.amazon.co.jp/dp/B01MU2J9ZT/ref=cm_sw_r_cp_api_V9mYAb1S62FR7

自眉がしっかりあるのでパウダーでぼかしたり書き足したりするくらいです。これもなかなか減りません(笑)

 

エクセル スキニーリッチシャドウ SR01 ベージュブラウン https://www.amazon.co.jp/dp/B015FG6RXM/ref=cm_sw_r_cp_api_NanYAbCH2945A

仕事用はもっぱらこちら。年上受けがとてもいい。個人的な話なんですけど、エクセルのシャドウ使ってるときメイク褒められたり「なんか今日いい感じだね」とかよく言われるんです。嬉しい。シャドウに迷ったらエクセル買いましょう。使用感だけでなく褒め言葉も含めてコスパ最強。

 

アイメイクはシャドウしてビューラーだけのことがほとんど。マスカラとラインはサボってます(笑)対面するのが年配の方ばかりなので気合は入れません。

 

○リップ○

リップ大好きなんですが、マスク着用するので無色もしくは薄ピンクのリップクリームをサッと塗るくらいです。

DHC エクストラモイスチュア リップクリーム 1.5g https://www.amazon.co.jp/dp/B00MTDKODY/ref=cm_sw_r_cp_api_jnnYAbMRAWJDY

ほぼこれです。私寝る前もこれです。高校生の頃からDHCのリップをうろうろ使ってます。

 

こんなもんですかねぇ。プライベートでおめかしして出掛けるときは服装などに合わせて色々変えるのが大好きなのですが、完全に「健康的できちんと見えて年上受け(特にお年寄り受け)がよい」ことだけを考えたメイクです。

 

これ誰が楽しいのかな?私は楽しかったから良いということにします。

「坂道のアポロン」の臨場感の話

私は長崎がとても好きだ。

初めて行ったのが高校の修学旅行で、そこから街の持つ多様な異国感がとても好きだ。

あまりにも好きが募りすぎて、大学の卒業旅行でも、周囲が海外に飛ぶなか春松竹の合間に長崎にみっちり三泊した過去がある。帰りの空港で友人に「帰りたくない、長崎の猫になりたい」と駄々をこね、冷ややかな眼差しを向けられたことも記憶している。

 

さて私は先日、久々の一人映画を堪能してきた。作品は「坂道のアポロン」。制作が公表された段階から「絶対に好き」と思い、見たい映画リスト入りさせていたのだが、公開早々に足を運んだのはやはり先日のJr.祭りの余韻が残っているからだと思う。あの三木監督に撮られる松村北斗って絶対いいよな、という軽率さ。いいんだ、軽率こそオタクの素質。

 

まず言う。これは映画館の音響の元で観るべき映画です。

各演奏シーンの感動、特に文化祭でのセッションの迫力と熱量はまるでライブのような臨場感。

素直に飾らないむき出しのセッションがとてつもなくかっこいい。

これを映画館の良質な音響の下で観なかったら後悔すると思う。

 

出演者の方々の瑞々しさと強い眼光がまた魅力的でもあります。

主な出演者は高校生チームと大学生チームの大きく二つ。

それぞれの感性の差異が物語のカギを担うと私は思っていて、どちらも意思の強い眼差しには違いないのだけれど、向ける対象や方向性などの差異があって、そこに言いようのない「年齢差」や「成熟の差」が感じられます。いやあ、俳優さんてすごい。

 

鑑賞後に色々な方々の感想を眺めていて気付いたのは、しっかりと明言はされていない「戦争の影」という部分。主要メンバーの千太郎が在日米軍の二世という役であるだけでなく、随所にさらりとさも当たり前かのようにちりばめられたそれらが、10代独特のもの悲しさに拍車をかけているように思う。実際に長崎に訪れたときにも感じたことだが、遠方から「平和学習」と称してそれこそ「修学旅行」する他府県の者とは違い、現地の人々にとってそれらの「戦争の影」というものはあくまでも「日常にある悲しみ」のひとつであって、いい意味でそれらが過去のものではない、風化されていない雰囲気がある。そのある種の臨場感が、確かに作品のなかにはあった。

時代背景が60年代であること、舞台が長崎であること、学生運動に参加しているキーパーソンがいること、そして「ジャズ」がそれらを繋いでいること。わざと見えないように忍ばせているのではなく「当たり前に戦争の影はそこに存在している」という部分があるからこそ、自由に生きる選択をする葛藤や悩み、そして強さが引き立っているのではと思った。なんと偉そうな文面。でもどことなく感じていた「言いようのないやるせなさ」「言い尽くしがたい虚無感」という空気感はきっと、ただよう「戦争の影」からくるものが大きいのだと思う。そしてそれをぶち壊すようなジャズセッションがより清々しい。最高。

 

想像していたよりもはるかに素敵な作品で、劇中の音楽を調べて突発的に無限ループするという副作用に悩まされている。そしてこれを書きながら二度目の鑑賞に行くかどうか悩んでいたりもする。ジャニオタなので同じ公演に何度も通うことに一切のためらいもない私は「一公演二千円切って自由に場所が選べる完全指定席って安すぎでは…」と思い始めた。文字に起こすと確かにそうだ、安い、安すぎる。

 

なんやかんや言いましたが、「坂道のアポロン」とても懐かしく、素敵な映画です。

あのセッションを是非体感してもらいたい。

あと、それから、長崎と雨の親和性が最高です。

あのシーンで土砂降り、ベタかもしれない、でも長崎なら大丈夫。

そのあとの雨上がりのシーンも好きです。

答え合わせはぜひ劇場で。

Jr.祭り2018大阪公演にお邪魔した。そして今Love-tuneの沼にいます。

とっても今更ですが、部外者なんですが、先日Jr.祭り2018にお邪魔してきました。

びっくりしたんだけど、もう二週間以上経ったんですか。どうしよう、あっという間におばあちゃんになっちゃう!!!!!!!

 

さてさて、ふぉ~ゆ~担の私。実はかれこれ三年ほど前、Love-tune結成前の長妻怜央の沼に沈没していました。圧倒的にお顔がかわいくて好きです。(シンプル)Jr.祭りの大阪公演の案内が来たとき、久しぶりに姿を拝みたいな~♪ととりあえず応募しました。わお、軽率!

 

友人の影響もあり、出演メンバー全員の名前やだいたいの性格等は認識していましたが、いかんせん持ち合わせた知識は滝チャンネルが基本なので、致命的に各グループの持ち歌を知らない状態でした。当選が決まってからひたすら少クラ観まくりました。もはやBGM。

 

そして本番に臨んだんですが、過去ツイから見ると率直な感想は「超超超超楽しかったーーーー!!!!!!」でした。いや、でもほんとにそう。びっくりするくらい楽しかった。

 

四つのグループが互いを打ち消すことなく独立してパフォーマンスができるので、初見の私みたいなオタクは1秒も飽きることがありませんでした。まるでテーマパーク。簡単に「互いを打ち消すことなく独立」って言うけど、それって実はすごく難しいことで、互いに陥れることなく高めあっているから成立するものなんですよね。それって今の東京Jr.の特徴的な要素かなって、部外者のオタクは思います。

 

まず、かねてからずっと思っていたんですけど、安井謙太郎の信頼感すごい。安井さんほど見てて安心できるJr.います????????逆にMCで安井さんがいなかったらと思うと恐怖ですよね、あの人数。同い年だからっていうのもあると思うんですけどね。個人的に烈火で三味線のバチを掴む手が超絶オスで一瞬だけ恋に落ちた。なにあの大切そうに触れたのに絶対手放すまいとガッとつかむのずるくない?

 

あとびっくりしたことなんですけど、川島如恵留さんの歌声って、すっごく甘くて素敵なんですね…!たまげました。たまげて終わってから結構早い段階でつぶやいたんだけど、あの歌声は会場全体が「ふわ~!」って感嘆の声に包まれていたので、のえ担ものえたんももっと自慢して歩いていいと思う!!!!!!!!!あの声で「春だよ~」って言ったら、冬も勘違いして春になると思う。

 

すごく頭の悪そうなこと言うと、私後から振り返って「あれ、Snowmanのパフォーマンスは覚えてるのに、個人になるとほとんど覚えてない…」と思ったんですね。わかったんです!!!!!!!Snowmanの全員のパフォーマンスが大胆で全体像を見逃すまいと必死だったんですよ。つまり見るのに必死だったという…!「すのなにが起こってるかちょっとよくわからなかったけど、なんかとにかくすごかった」が感想です。

 

SixTONESのみなさんのMCは、ろくーん時代からのカツン担だった私はこっそり古傷が痛みました。古傷がちくちくしましたがそういう人たちにかつてときめいていたので「いかついあんちゃんたちかわいいなあ」という仏の眼差しでした。あとJAPONICA STYLEの花道歩く移動時間の北ジェにときめき大爆発でした。なにあれ!!!!ノールックの小道具の受け渡し!!!!!なにあれ!!!!!!!!好き!!!!!!!!軽率に好き!!!!!!!!!

 

あと言い出したらキリがないくらいちまちまとした萌えが大量にあるんですけど、総括すると「なんかすごい楽しいことの渦のなかに飛び込んでしまった」というのが最終的な感想です。

 

この感覚どこかで覚えがあるな…とここ半月考えていたんですけど、ジャニーズWESTデビュー前の関西Jr.の雰囲気に似てるな、と気づきました。全国ツアーとかの頃。渦の中に入ったら最後、次の渦にバトンが渡るまで次から次へと楽しいことが舞い込んでくる感覚。向かい風の感覚。その感覚が私の中にまた巻き起こっていて、今すごく楽しいです。楽しすぎて一日に三回はリボルバー回してます。(言い方)楽しすぎて買う気なかったはずなのにカレンダー買いましたよ。げんげんと萩ちゃんと怜央の写真可愛すぎて、あの写真撮ったカメラマンに嫉妬した…ずるい…

 

軽率に「久しぶりに生の怜央ちゃん見たいな~らぶになってからの怜央ちゃんは生で見てないもんな~大阪来てくれるし~」という理由で行った祭りでしたが、終わってからあれよあれよと「え、ていうからぶって最高じゃない?」「謙ちゃんがいたら安心して任せられるね(飲み物の管理含む)」と、すっかりらぶの沼でぬくぬくしています。軽率に横アリにも行きたいけど、残念なことに私は休みがなかった。悲しみ。生霊飛ばす…

 

今思うと、本当に行ってよかった!楽しいことの傍観者にならずに済んでうれしいです。楽しいとわかってる渦には巻きこまれたもん勝ちだな、と思っています。

 

さてその「楽しいとわかってる渦には巻きこまれたもん勝ち」ということなんですが、ついにふぉ~ゆ~のFCが独立しました~!!!!!歓喜!!!!!みなさんふぉ~ゆ~のことご存知でなくても、よかったらご登録を~!!!!!こちらのおじさんたちも、祭りの人たちに負けず劣らず楽しい渦を作って待ってま~~~す!!!!

春松竹とさくらラテ

唐突だが、現場のときに食べる食事がとても好きだ。

どのお酒の場よりも、現場の後に飲むお酒が一番おいしい。

オタク同士だと話題がハッピーでピースフルで結論が全て「尊い」と「好き」に集結するのもポジティブで後味がよくて最高だ。

私は数年前までエイターだったこともあり、かなり高頻度で現場後に鳥貴族にお邪魔していて、現場後のサングリアと焼き鳥は格別だといつも思っている。

 

さて、気づいたら片想い…ではなく三月になった。

このどこか浮足だった、けれど少し寂しさを纏った空気は三月特有のもので、もれなく私も少し寂しくなってしまう。そしてこの時期が近づくと決まってある知らせが来る。スターバックスからの、さくらシリーズの発売情報。ある時からはたと飲まなくなった。

 

さくらラテをよく現場前に飲んでいた。現場前独特の緊張感から湧かない食欲や、まだ少し肌寒いことから、昼食代わりに大阪松竹座近くのスターバックスでよく購入していた。言わずもがな春松竹のシーズンで、当時大学生だった私は休日のほとんどの時間を難波で過ごしていた。言ってしまえばチケットが手元にある日が全部休日みたいなものだった。行けば誰かが居て、単純に楽しくて、三月に寂しさなんて感じない時期だった。

 

私が大学を卒業して、地元の田舎にこもり、絶賛人生に迷走していた年の春松竹で、担当が卒業した。一般人とか関係なく、ブログは名前が残るからとか関係なく、しっかりと記すけれど、あのとき、私の担当であった金内柊真は関西ジュニアから卒業をした。

 

自分は何をしているんだと思った。

就活で家族と揉め、ただ流されて、なんとなく実家に戻ることになり、けれどもともと馴染めていなかった地元なのでひたすら窮屈で、どう地元を離れるかしか考えていなかった時期に、私の担当は退所した。

アルバイトで品出しをしながら涙をこらえ、帰りに食事をしながら長い長い最後のファンレターを書いた。初めてファンレターを書いた相手だった。それまであった彼への感謝を「最後だから」と照れずに全て書いた。いや、照れたけど書いた。

書き終わったファンレターをその足で郵便局へ持参し、速達で送った。その帰りにスターバックスがあった。けれどさくらシリーズはもうなかった。私の春はもうどこにもなかった。

 

今年も変わらずさくらシリーズが発表され、もはや今は新シリーズの展開が始まっている。あの時以来、飲むと悲しくなるからと大好きなさくらラテを飲めずにいた。

でも先日ふと思い立ち、仕事帰りにスタバに寄り道を敢行、実に四年ぶりに口にした。相変わらずおいしくて、華やかで、でも泣いてしまった。大通りとはいえ夜道を、スタバ片手に泣きながら歩いて帰った。「ああ、あの時は楽しかったなあ」といろいろ思い返しながら、最後の一口を飲み終えるときに、「ああ、私大好きだったんだなあ」と思った。ここまで来るのはすごく長かったけれど、きっと私はようやく受け入れられたんだと思う。ようやく終わりにできたんだと思う。

 

「私、今も最高に幸せだけど、あのころだって最高に幸せだったんだよ」と、ようやくそれぞれの感情を同時に認められるようになった気がする。

 

思い出って五感に寄り添っているもので、ふとしたときに起因となって呼び覚まされるもので、味覚もそのひとつで。きっとこれから先いろいろなものをいろいろな人と食べたり飲んだりすると思うけれど、現場の思い出の味は一つ残らずおいしくて楽しいものになればいいなあ。これからどんなおいしいものを口にしながら、大好きな人たちから幸せをもらうのかと思うとわくわくしてくる。春はまだまだこれからで、私の大好きな人たちは今、ステージに立ってくれている。私は今、最高に幸せだ。

「伊藤万理華」という「印象」

真っ赤な口紅がずっと脳裏に焼き付いている。

マットな、ざらつきのある口紅が、毒々しく唇と肌を染めていく様が。

 

昨年11月末に京都・北野天満宮で開催されていた「伊藤万理華の脳内博覧会」の会場で流れていた映像が、このたび乃木坂46の公式YouTubeチャンネルで公開された。私が博覧会会場の映像コーナーに入室したときにはちょうど「トイ」が流れていて、伊藤万理華さんが鏡の中の自身に向かって「…見んなよ」と吐き捨て、真っ赤な口紅をぐりぐりと塗り付けるところだった。入室早々見んなよとは言われたが、その独特な世界観にのめり込むようにして何度も見入ることになった。その時の真っ赤な口紅の色味やざらつきのある質感が異様に生々しく、今でも口紅を繰り出すときに脳裏をよぎるほど、私の中にこびりついている。私は万理華さんの世界観が大好きだ。

伊藤万理華 『トイ』 - YouTube

私の中で「乃木坂46」のイメージのひとつとして「質感」という概念が薄かったりする。どこか浮世離れしているような、一枚ベールを纏っているかのような、生々しい人間くさい「質感」を感じないイメージがある。それが俗に言う「綺麗」や「清潔感」に通ずるのかもしれない。けれどその時その空間にあった「伊藤万理華」という人には明確な質感があった。ざらつきも、べたつきも、愚かさや浅はかさなどの人間くささも確かにそこに感じられた。ああ、こういう形で彼女の脳内にいるのかと我に返る場面だった。我に返るというか、呆気にとられると言うほうが近いのかもしれない。

 

そして「トイ」と合わせて流れていたのは「はじまりか、」だった。卒業を前にした万理華さんの総集編と言えるような内容の作品で、毎回万理華さんの個人MVを楽しみにしていた私は歌詞の中に出てくるこれまでの個人MVの歌詞をピックアップしては嬉々としていた。けれど曲が進み、視聴回数を重ねるうちに、だんだんと万理華さんのファンの方がうらやましいと思うようになった。「なんとオタク冥利につきる相手なんだ」と感激した。

伊藤万理華 『はじまりか、』 - YouTube

様々なアイドルを見ていて、応援していて、正直迷うときも何度もある。

応援している相手が突然やめてしまうこともあったし、転職することもあった。

果たして彼ら、彼女らは何を思っていたのかと、考えてもしょうがないことをふと考えることもいまだにある。今もステージに立ち続けていたら、彼らの夢は叶っていたのだろうかとも思う。考えても仕方ないことだし、正解はないのだけれど。

 

でも「はじまりか、」を歌い踊る姿を眺めているうちに「そう思ってもらえてたらうれしいなあ」と思うようになったし、今応援している人たちにも変わらず声をかけていきたい、いやかけていかなくてはと思うようになった。

畑は全く違うけれど、ジャニーズJr.のオタクは共感性が強いと思ってる。後列ばかり見てしまう習性の人はぜひ繰り返し見てじわじわと実感してほしい。「万理華さんがきっとアイドルの立場を代弁してくれているんだな」と思ってほしい。まあ半分こちらの願望めいたところはあるんだけれど、その余白を作ってくれるのがある種救いだと私は思います。

 

本当に素敵な作品なので、お時間のあるときにいろんな人たちに見てほしいなあ。

私はようやくお給料日になるので万理華さんの写真集をお迎えに行こうかと思います。

楽しみだ。伊藤万理華さんのこれからが、とっても楽しみだ。

これから、何を見せてくれるのか、とっても楽しみだ。

 

 伊藤万理華写真集 エトランゼ https://www.amazon.co.jp/dp/4797673516/ref=cm_sw_r_cp_api_4nUJAb1C6D6YB