そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

東京ドタバタ遠征記録〜台風と共に上陸した旅記録〜

6/10〜12の二泊三日の東京遠征が終わりました。いや、正確に言うと今さっき新幹線に乗って京都に帰っているところなんですけど。

 

聞いて。めっちゃ楽しい三日間だったの。

トラブルだらけだったけど、それらを含めてもめっちゃ楽しい三日間だったの。最高。だから自分がいつでも見返せるようにブログにしちゃおうと思って。

 

まずこの旅の主な目的は以下の2つ

・DAYZEROの観劇(10日のマチソワ、12のマチネ)

・休演日の11日には千葉に住んでいる父とランチ

 

あとは会えるだけ関東住みのオタクと会って、出来たら「東京っぽいごはん」を食べ、久しぶりにミラーレスを携えてお散歩したいと思っていました。

 

だがしかし、夜行バスに乗車する9日夜になって事件発生。女の子が月に一度来るアイツが遅れてやって来た。そして関東の天気予報によるとどうやら台風が来ているらしい。

すこぶる幸先が悪い。

でも大丈夫、繁忙期明けのアドレナリンと、自担の福田悠太と推しの梅田彩佳が目前となった私は、それくらいでは凹まない。まぁどうにかなるもんだ。

 

夜行バスで爆睡するために22時までバイトをし、終電の時間に間に合うように1時間半でシャワー、洗濯、食器洗い、軽食、残りのパッキングとゴミ捨てを終える無駄なハッスルをした。おかげで全力の大爆睡をかまし、降車駅ですぐに活動開始できず(低血圧あるある)降りてすぐベンチで休憩を挟んだ。日中用のメディキュットのレギンス、あいつぁすごいぞ。

 

マチネ公演までの時間をつぶすため、劇場最寄駅の渋谷まで行き、ネットカフェ初体験をした。荷物を預かってもらえるサービスがあって、メイクや休憩と共にお世話になりました。これはまた使いたい流れ。だがここで二度目の事件発生。

急にチケットが余ってしまった。

結局たくさんの方々にRTしていただきましたが、お譲りできず、空席を作ることになりました。通路横だったから空席にしたくなかったんですが、やっぱり重いテーマだと気軽に入れないのかな…残念でした。

 

でもマチソワどっちも!!!!素晴らしい作品でした。自担の歌があんなに上手くなっているとは思わなかったし、あんなに近くで見てもかっこわるいところが1ミリもない。私は彼が人間であることを疑いました。推しちゃんも相変わらず可愛くて可愛くて可愛くて泣いた。好き。夜に速攻でSNSにメッセージ送った。女の子のアイドルはこういうことできて反応くれて嬉しいね。まぁDAYZEROに関してはブログ多分また書くと思う…深くて一言では片付かない作品で、1人でも多くの人に目の当たりにしてほしい。

 

10日のランチは友人のハイハイ担と「クアアイナ」さんでハンバーガーランチ。作間さんのことを「スクイーズの子」、猪狩さんのことを「ゴリゴリのスイーツの子」と言う私に対し「YouTube見てくれてありがとう(´;Д;`)」と返す優しい人。名前は頑張って覚えますね。ソワレに向かいながら携帯で時間確認したら開演7分前を青劇前で迎えていて地味に焦りましたが余裕で間に合いました。それくらいしか公開できる話題がないくらいのもはやリア友です。

 

そして10日の夜ももはやリア友のオタクと「アリービーチ」さんで食事。

白い砂浜とブランコでテンションが上がり、見知らぬ男児とブランコしてた。楽しかった。食事中3回も誕生日サプライズのお客さんがいて、先月誕生日だった私に向かって「言っとくけどなんもないからね」と言える間柄が気楽でいいなと思った。

 

この日は「映えごはん」の日でした。

みんなに丸投げして良かった。(他力本願)

 

そして夜に父から連絡が入り、翌日の親子デートが台風接近で車が出せないということで中止に。私の金欠がここで本領発揮する。チケットを捌けず、父にお小遣いをねだれず、危機感を持つ。馬鹿なので二日目に二度寝して忘れる。

 

二度寝してお昼ごはんを何にするか、何を食べたいか1時間悩む。結果ホテル徒歩圏内のインドカレー屋さんへ。ここがすこぶるよかった。

「インドのライオン」さんです。美味しかった。お腹ペコペコにしてから行ってな!!!!

 

そして時間がなくて行けないかなと諦めていた乃木坂駅を目的地に。前回はアルバムに合わせたポスター展示と乃木神社の参拝が目的でしたが、今回は国立新美術館ルーブル展。国立新美術館ということで、こんなこともしました。

やるよね〜やるよね〜!!!!

ルーブル展もすごく良くて、私は彫刻はよく分からないんだけど、やっぱり石膏とかブロンズよりは大理石の作品が好きだな〜と思ってた。あまりに美しい彫刻を前にして「福ちゃんもいずれはルーブルに行くのかなぁ」と思ったけど、すぐに「そんなに遠くには行かないで欲しいなぁ」と思いました。その前に福ちゃん彫刻ではなかった。ナポレオンの載冠の彫刻が私的には圧倒的に素晴らしくて、何分も観てた。1600円であんなに美しいものを舐め回すように好きなだけ観られるのだから、相性のいい美術展ってコスパがよい。ナポレオンさんイケメンでしたよ。

 

大雨だったし、次の予定までやることもなかったしで、観劇ブログを館内でアイスティー片手にぽちぽちしてました。美しい建築物のなかでそれを堪能しながらすごく贅沢な雨宿りをしました。最高。

 

夜はふぉ〜ゆ〜担とお洒落にチーズフォンデュを食べつつ担当グループがいかにかっこいいかの話をしていました。お酒が進み「早く担当たちここに来ないかな」とぶつくさ。ふぉ〜ゆ〜担はすぐに担当を酒の場に呼びたがる。そういうところ好きだぜ。

 

そして越岡さんの出演舞台のポスターを見に入場券を購入するも、ICカードに慣れすぎて、改札から取り忘れるという失態をおかす。その流れがもはやネタ。一生言われるやつ。愉快なオタク。ちゃんとこっしーとやらっち先輩の間で出演者ヅラして記念撮影しましたよ。

 

そして退場し、オタクと別れて帰路について再度越岡さんのポスターの前を通過する。あれだけネタを作ったのに、入場券を購入しなくても良かったという最後の最後まで抜かりのない笑いを提供しました。

 

そして今日はSnowManのオタクと青山のおしゃカフェでランチ(╹◡╹)青山の人たち誰もリュック背負ってないのな!!!!私は自分がバックパッカーかと錯覚したよ!!!!打ち合わせ無しで緑色のスカートが被って笑いました。SnowManとふぉ〜ゆ〜の緑色の人たちが好きな私たち。スイーツは幸せの塊です。

 

そして私的千秋楽(´;Д;`)

見るたびに色んな方向から考えて、色んなことを考えるので、言葉と思考が追いつかなくてもどかしい。出演者も大変やなぁと思う…。たぶん時間を置いてまた第二弾の観劇ブログ書くと思う。

 

4時前に公演が終わり、6時台の新幹線に乗れたらと思っていたので、前から食べたいなと思っていたものの調達に原宿に向かう。途中お手洗い休憩に立ち寄ったビルを出て、たぶんこっち方面だと細い道に入る。が、着いた先にあったのがさっき出たばかりのクロスシアターで、事情が掴めず3秒くらい立ち尽くした。「私めっちゃ福ちゃんのこと好きやん」って思った。

そしてちゃんと大通りを通り、原宿は竹下通りに向かいましたよ!!!!そして着いたのはこちら。

YouTube橋本涼さんが買いに行ったスイーツのお店へ。まだ食べてない。楽しみ♡締めくくりまでオタク。最高楽しい!!!!

 

そんな感じで、終始オタクゴトしか考えずにひたすら楽しい三日間でした。もうすぐ京都に着いてしまうのがしんどい…現実がしんどい…カードの請求が恐ろしい…泣ける…でも楽しかった。今年で一番楽しかった。納得いかないこともたくさんあるしスクランブル交差点超怖いし傘ぶつけられて舌打ちされて「嘘やん?!?!?!」って思ったし、色々キレたけど、オタクしてたら超楽しかった(╹◡╹)また来たい(╹◡╹)会ってくれて、お店探してくれたお友だちのみなさんありがとうございました(´;Д;`)♡また遊んでね(´;Д;`)♡

 

というわけで、あと10分ほどで京都に着くので、準備したいと思います。楽しかったー!

東京〜!さんきゅ〜さんきゅ〜で〜す╰(*´︶`*)╯♡

「あなたと一緒に生きてみたかった」〜オリジナルミュージカル DAY ZEROを観劇して、漠然と考えたこと

「あなたと一緒に生きてみたかった」

 

その言葉を目の前で発せられたとき、私の背筋がひやりとした。「死にたくない」「生きたい」という死への恐怖、戦争への恐怖が湯水のように語られるなか、メロディーに乗せられたその台詞が、ある種冷静に、だからこそ余計に「戦争というものが今私たちが手にしている、個々の未来をいとも簡単に奪うものなのだ」と頬を打たれたような感覚にさせた。

 

二度観劇したことで大前提である「戦争」への思いはもちろん、散りばめられた「偏見」や「蔑視」についても考えることになった。

 

生死を考えなければならない時に自分がそれまで「認識できていなかった」「見ないようにしていた」「向き合わないようにしていた」自分の醜い感情や思考をも、生死と共に受け入れねばならない、向き合わねばならない葛藤が、それぞれの役柄ごとにものすごいエネルギーでこちらに投げかけられた。LGBTの描写をここにぶち込まれたのも、原作がアメリカ映画だからという理由だけではないと勝手に深読みしている。

 

果たして私たちは何から目を逸らしているのか。

それを自問するとき、畳み掛けられるように翌日を出征日に控えた3人の幼馴染たちが言う。

 

「僕たちは何も悪いことをしていないはずだ」

「でも良いことをしたのか?」

「僕たちはなにもしなかった」

「だから今日になった」

 

これらのセリフは、まさに今の私たちの在り方そのままだと思う。だって私たち、何も悪いことをしていない。人殺しも犯罪もせず、ただ自分の人生だけを考えて、毎日必死にいきているだけだ。そうなんです、「だけ」なんです。それ「だから」今日になってしまった。

 

登場人物たちがもがき苦しむなかで、私たちに訴えかけてくるのは、まさにそこだと思っています。きっとある日突然自分の上に戦争なんて降ってこなくて、じわりじわりと近寄って来て、気づいたらすぐ側にあって、隣に来たときにはもう飲み込まれているんだと思う。

 

以前「小さいおうち」という作品を映画を観た上で原作も読みました。日常生活のなかに静かに、でも確実に入り込んで行く描写が、やけにリアルで「ああきっと、こうやって気付いたら渦中なんだ」と思った感覚ととても似ていて、きっとだからこの世から戦争が無くならなかったんだと思う。「気付いたらそのときだった」とならないために、きっとこうして若い役者たちが集められたんだと思う。若い役者たちがそれらを考え、もがき、そしてまた彼らの観客たちに投げかける。戦争を知らない世代がその世界を続けるためには「例え戦争を知らないとしても、それを知り、自身に起こりうることだと考え、選択していかないとならない」と、作品をもって訴えていると私は思います。

 

 

まだあと明日の1公演の観劇が残っているので、明日の観劇を終えたらまた別のことを考えているような気もするけれど、とりあえず昨日のマチソワを観て考えたのは主にこんな感じです。言葉にし尽くせなくて、他にも「他者を認めることとは」「受け入れるということとは」など、勝手に脳内1人ワークショップを開催しているのですが、書き出したら止まらない上にまとまりそうにもないので、手っ取り早く興味を持った方は是非劇場に行っていただきたいですね!!!!!!!!!!!!当日券もあるし!!!!!!!!!!!!大丈夫?!?!?!みんな後悔しない?!?!?!今しか観られないからね?!?!?!知らないよ?!?!?!DAY ZEROの千秋楽までのカウントダウン始まってるからね?!?!?!

「ラストホールド」と見知らぬおじいちゃんのお話

どうもこんばんは。正真正銘のアラサーを迎えました。「長すぎるモラトリアム」ことたんぬです。誕生日当日は完全なるオフ。その前夜「なんか無性に夜更かしして楽しいことをしたい!」と仕事終わりに上映時間を確認し、レイトショーへ。最近レイトショーの楽しさに気づいてしまい、これは別でブログにしたいなと思ってるくらい無駄にこだわりがあったりします。

 

それはさておき、タイムラインで話題の「ラストホールド」を観てまいりました。

テンポがよくてわかりやすくて仕事終わりの夜に観るのにぴったりでした。スカッとしたし、ひたすら顔のいい人たちを観られて楽しかった。こういったエンタメ映画に眉を顰める人もいるけど、絶対に頭空っぽにしてただ楽しい時間を過ごすための映画って必要だと思うんだよな。

 

いやあグループ全員が出演する映画って、なんだかこう、感慨深いですよね。私部外者ですけど。ついついセリフの深読みをして勝手に重ねてしまうんですけど、観てから1日経ってもなかなか頭から抜けないセリフがいくつかあって、そのひとつが先輩の塚田さんの「ボルダリング個人戦」です。私の中ではこのセリフを軸にして物語が変化していくと思っていて、最終面接であったり団体戦に向けての各々の一波乱であったりの「個人」と「団体」の対比を強調する一言だと思いました。月並みの感想。

 

でもそれって「個人」ありきの「団体」という側面があって、個々の長所と短所を補い合う団体戦の描写はなんだか勝手にこみ上げるものがありました。深夜の疲労したオタクはすぐ泣くものなので是非許してほしい。ボルダリング部の活動とジュニアの活動とが、どうしても重なってしまうんだから仕方ない。

 

頭の悪そうな感想を言うと、手フェチの私は終始嬉しい映像のオンパレードでした。チョークまみれのメンズの手って良きですね。かさついたメンズの手がとても好きなので至高でしたありがとうございました。かさついたというか粉ふいてるというか、もはや粉まみれなんやけど。

 

あとあと!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!とてもとてもとても不意打ちでときめいた部分があるんですけど!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!阿部ちゃん先生のある部分のセリフ「ほら。似合うと思うなあ」がとてもとてもとてもときめきました。あのトーンで言われたいが過ぎる。あれ言われた岩本さんはときめかなかったのかな?!?!?!?!私は軽率にあの瞬間阿部ちゃん先生に恋に落ちました。全阿部ちゃんファンの方々すみません、あれは仕方なかった…不意打ちすぎた…お邪魔しました…

 

自分の担当グループがこういう映画に出演するってすごく羨ましい。切磋琢磨している姿を確かにいつも自分の目で見ているけれど、それを改めて物語に落とし込まれて、映像として残るって、ジュニアのグループとしてなんと幸せなことか。そう簡単なことではなくて、全てSnowManのこれまでの活動・活躍が認められてのことで、そういう姿がまた彼らの周囲のジュニアに良い影響があるとますます嬉しいですよね。私は誰なんだ。

 

Jr.祭りのときに感じた「次々と楽しいことが起こる感覚」が確かにこの「ラストホールド」からもひしひしと伝わってきて、言葉にしようとしても「勢い」とか「渦」とかありきたりな言葉しか出てこないのがもどかしいのだけど「今ジュニアから目が離したらいけないぞ」「楽しいことを取り逃がすぞ」という感覚が私の中に確かに漲っています。

 

そうそう、最後になりましたが、タイトルで触れた「おじいちゃん」の話。レイトショーにはちらほらと女性客しかいなかったのですが、予告が流れているときに前列にひょっこりとご高齢の男性が。内心「おじいちゃん観るもの間違えていないかしら」と思いつつ上映開始。そして鑑賞後、照明が点灯されるや否や後ろを向いて、私たち全オタクに向かって「この人たちはジャニーズ(絶妙なイントネーション)なのかい?!?!」と。男性に一番近い座席に座っていらした方が「そうですよ」と返すと「はあ~たまげた。どっかのアスリートやと思って観てたわ~すごいなあ。めっちゃ練習しはったんやろなあ。怪我とかしいひんかったやろか。すごいなあ」と絶賛。ご高齢の方にも楽しんでいただけたようで、勝手に鼻が高くなりました。「元気な若者は高齢者の良い薬」だと思った出来事でした。

映画「娼年」を観て考えた様々な「寄り添う」ということ

日夜を問わず部屋の中の四角く切り取られた画面から垂れ流しになる報道に辟易としていた。

 

幼いころから思春期を経て、成人になってからも、所謂「性行為」であるとか「異性間交流」というものに関して、厳しく育てられてきたと思う。実際私自身もそれらに関して決して積極的ではない。まだまだ幼いころはそれらに対して嫌悪感すら抱くこともあったし、実際にそういう感情を剥き出しにされると、熱を帯びるどころか急激に冷めることすらあった。

 

人の心はとても繊細であることなど、それは生きていたら自分自身の心を持って痛感してるはずなのに、大人になればなるほどそれを隠すのがうまくなる。繊細であることは「多くの他者」と生きていくときに足枷になる。社会の中で人は繊細であっても強靭でなくてはならず、それらの両立は故意には難しい。「繊細でないつもり」で「強靭なつもり」で己を隠している人は多いと思う。それは言わば鎧のようなもので、実際の心にあるものはみな平等に繊細なまま。鎧を身にまとっていようとも、急所をつけば命はない。そんな当たり前のことを、いつの間にか忘れ去られているような気がしている。

 

SNSの普及によって世界中の女性の声が大衆に響くようになった。「me too」の風潮はもっと広く浸透していくといいなと思っている。

それに伴い露呈してきた数々の性に関する言動に対し、なんと愚かで浅はかで忌々しく、なぜこれまで見過ごされていたのかと腹立たしくなる。けれど半面飽きずに連日連夜「悪しき性に関する報道」が続くのは悲しい。これまでの膿の排出ならまだしも、同じ話題をガムのように味がなくなるまで噛み続けているようで、見ているこちらとしては「性」というものに対しての嫌悪感を植え付けられているような気さえする。

 

そんな中、友人の勧めで「娼年」という映画を観てきた。

娼夫となった主人公が性行為をするなかで次第に「人に寄り添うこと」を身に着けていくのだが、 現代における「性行為とはなんなのか」ということを改めて考える映画だと私は思う。娼夫は犯罪行為だのなんだのという声は「映画」として考えた際には取るに足らない議論なので割愛。更に原作があるとはいえ公開中なのであまり内容には触れない。

 

本編のなかで主演の松坂桃李さんが娼夫として出会ったどの女性に対しても、優しく穏やかに接し思いやる描写がある。必ずきちんと目を見て会話し、相手の話を聞いたうえで自分の意見を述べるし、必ず名前を呼ぶ。「商売なんだから」と言われたら終わりだが、連日のように「同意も思いやりも何もない女性を見下したような性的な事例」がそれはそれは溢れかえるなかにいる女性としては、例え商売だろうと前者の方が美しいと思う。そう、そもそも性行為とはただの生殖行為ではなくて、「愛し合う恋人同士が心身ともに寄り添うための行為」であるべきなんですよね。「心の痛いところを探し当てて寄り添う」というようなセリフ(肝心なところでうろ覚え)があったように、身にまとっている衣類と心の鎧をひとつずつ外し、それはそれは繊細な「心と体」に寄り添うことが本来のあるべき「性行為」の姿だと改めて考えなおす作品でした。

 

「同意があった上で相手の痛みに寄り添い満たす性行為と、同意も思いやりも何もない相手を見下したような性行為と、どちらが正当か」と尋ねたらきっとだれも間違うことはないのに、何故よりによって幾重にも鎧を重ねてきた「大人たち」はそれに気が付かないのか不思議でならない。鎧を重ねるうちに内包されたものの繊細さに気づけなくなるのなら、私は鎧なんていらない。それに鎧など身に着けなくても誰かと寄り添うことができたなら、きっと私はそれがなくても強くなれる。

 

ここまで書き連ねてきて、ようやく気づいたことがある。そもそも「SNSがあるから」女性の声が強くなったわけじゃない。もともと女性にだって声はあったはずだ。女性自体が強くなった上でSNSというツールを手にしたから、更にその声を見聞きし真摯に受け止められる男性もいるから、ここまで世界中で問題視されるようになったんだと思う。

多くの人がツールの発達にばかり言及するけれど、女性も男性も時代の流れなのかなんなのか、性に関する認識においてだんだんと寄り添えるようになっているからこそのこの風潮なんだと思う。声があがり事態が認識され、「悪がなんなのか」という認識を社会として人として寄り添いあうことが今のこの世界的な風潮であって、そこにビジネス的な云々かんぬんは必要ないはず。多様化の中でそんな時代錯誤は「古の国・日本」においても浮き始めているのかもしれない。

かつて存在に名前を付けてくれた渋谷すばるという人の話

何度目覚めてもそれは決して夢ではなかった。

むしろ目覚めるたびにまざまざと現実であるということを認める気分だった。

 

私の青春と私の中の自由は一つのピースを失うことになった。

関ジャニ∞から渋谷すばるが姿を消すことなど、誰が想像しただろう。

 

私はもうすでに「エイター」と名乗れるような存在ではなく、「かつてエイターと呼ばれた者」くらいの存在なのだけれど、エイターであった頃が自分の中のオタクの基盤であり、今現在親しくしているオタクの友人たちの大半がエイターもしくはそれを通過してきた者たちだ。それまで交わることがなくても、同じグループを好きでいるという共通項が何年も私たちを繋ぎ続けている。

 

私たちの存在は渋谷すばるによって名前が付けられた。

それは同じ時間を共に過ごし、楽しみ、同じ音楽を聴き、同じことでお腹を抱えて笑い、人情に泣き、でも最後には笑って「最高で最強」と別れる名のない私たちに、一つのアイデンティティを与えるものだった。

名づけるということはそれはそれは責任の重いもので、ファンにとってはアイデンティティでもありステータスでもあった。悪い言い方にすればある種の束縛であり呪縛であった。でも後者になることはないくらい、彼らはいつでも真摯で溌剌としていて、名のないオタクにアイデンティティを与えてしまうという重い責任も軽々とこなしていた。

 

そんな名付け親がグループを去るという衝撃を、私は阪急電車の中で受けることになった。数日前のスクープ記事は1ミリも信用せず「いやだって、すばさんだぜ?すばさんが辞めるわけないやん」くらいの感覚だった。この圧倒的信頼感。「会見するなんて、本当みたいじゃん」なんて思いながら電車が停まったのは高槻市で「ヒナちゃん大丈夫かいね」なんてふわふわした感覚だった。

 

私はかれこれ10年ほど錦戸担だったので「グループを去る者側のファン」の経験もしたし、同様に上田担でもあったので「グループに残る者側のファン」の経験もしているが、まあいつまで経っても慣れないし心苦しい。いまやSMAPが分裂するような世界なので、なにが起きてもおかしくはないだろうとはわかっている。頭ではわかっている。でも、それでも、それでも寂しくて、悲しくて、これまでのすべてを置き去りにしても追うものはなんなのか、ついつい考えてしまう。でも私たちを繋ぎとめてくれた素敵な人が、最強な才能を手にしていて、最高を目指したいという夢を抱いたのなら、きっとそれはもう、それこそもう、メンバーも背中を押すしかなかったんだと思う。頭では分かっていても寂しさは湯水のように溢れかえるし、曲を聴くたびに虚無感に苛まれる。それを昨日から延々と繰り返している。

 

グループの真ん中には三馬鹿の年長三人が居て、三人がいたから関ジャニ∞関ジャニ∞だった。年下のメンバーはいつまでも年長三人のことを尊敬し続けていくし、年長三人は年下のメンバーのことを慈愛に満ちた眼差しを向け続けていくものだと思っていた。そんななか、村上信五がさらりと「村上信五」として言った「おさななじみ」という言葉は、これ以上のない関係性を表した言葉だったと思う。彼にとって渋谷すばるとはメンバー以前の問題で、確かにおさななじみという存在だった。

 

私はまだ受け入れられていない。エイターを通過してしまった私でさえ受け入れられないのだから、きっと現役のみなさんは言い表せないくらい取り乱しているだろう。すぐになんて受け入れることは出来ないもので、それでもファンは虚無感を抱えたまま、ついていくしかないんです。ただただ、時間を重ねて、寂しさを紛らわせるしか、きっとないんです。終着地点を見つけられなかったくせに、酔った勢いでつらつらと書き連ねましたが、きっといつかまた、一緒に歌ってくれると信じて、背中を押すしかないんでしょう。

 

今度はきっと、自分自身に名前を与えるのであろう彼に。

幸多からんことを、祈って。

 

アイドルオタクの普段使いコスメ○2018春

ただの自分用の記録でございます。

知ってる人のメイク道具とかポーチの中身とか鞄の中身とか見るのとっても好きなので、なんとなくやりたくなりました。(笑)

 

○基本情報○

職業はクリニックの事務とコンビニ店員の掛け持ち。後者は超自由なので割愛して、ここからは前者の受付事務の仕事のときのメイクについて書いていきます。職場で言われているのは「派手でないこと」と「健康的であること」くらいです。夏以外仕事中はマスクを着用しています。

 

○ベースメイク○

キス マットシフォンUVホワイトニングベースN01 ライト 37g https://www.amazon.co.jp/dp/B01N1RR7LL/ref=cm_sw_r_cp_api_CPmYAb9BA587R

マット肌がとっても好きです。マット肌にしたくて色々試して今はこちらを使用しています。可もなく不可もなくという感じかなぁ。

夏場はこちらです。

セザンヌ 皮脂テカリ防止下地 https://www.amazon.co.jp/dp/B00TESOQCC/ref=cm_sw_r_cp_api_lTmYAbS3HP57D

これはコスパ最強で最高の仕上がりです。冬場の乾燥シーズン以外はこちら。新作も出たから早く使いたいな〜!

 

レブロン カラーステイメイクアップD150 https://www.amazon.co.jp/dp/B00OXDE1PA/ref=cm_sw_r_cp_api_1UmYAb5A21JHP

昔から赤ら顔がコンプレックスなのでファンデはリキッド派です。コンプレックスがあるのでカバー力ないと絶対嫌な人です。そしてそんなコンプレックスを感じないくらいこいつはすごい。コスパも持ちも良くてカラバリも豊富で嬉しい。何本目か分からないくらいリピートしています。浮気しない。愛してる。

 

キャンメイク マシュマロフィニッシュパウダーML マットライトオークル 10g https://www.amazon.co.jp/dp/B01N2VT6WY/ref=cm_sw_r_cp_api_8ZmYAbZ3KEMJQ

みなさん経験ありませんか?持ち運びポーチの中でパウダーぶちまけた経験。私はある。十代の頃それをして以来大人になってもプチプラパウダーしか持ち運ばなくなりました。まだ許せるから。そしてその中で出会ったこの人最高です。これも浮気しない。マット肌派はマストです。教えてくれた某お姉様ありがとう。パウダーと同じくらい愛してる。

 

チークは使用期限無視して大学生の頃から使ってるので出てこなかったけど、インテグレートのピンク系のものを使ってます。超ベーシック。単に残ってるから使っています。何年ものなのかもはや分からない…。まぁ職業柄冬からマスク生活なのでほぼチークしてないけど…。

 

○アイメイク○

キャンメイク ミックスアイブロウ 04 グレイッシュブラウン 2g https://www.amazon.co.jp/dp/B01MU2J9ZT/ref=cm_sw_r_cp_api_V9mYAb1S62FR7

自眉がしっかりあるのでパウダーでぼかしたり書き足したりするくらいです。これもなかなか減りません(笑)

 

エクセル スキニーリッチシャドウ SR01 ベージュブラウン https://www.amazon.co.jp/dp/B015FG6RXM/ref=cm_sw_r_cp_api_NanYAbCH2945A

仕事用はもっぱらこちら。年上受けがとてもいい。個人的な話なんですけど、エクセルのシャドウ使ってるときメイク褒められたり「なんか今日いい感じだね」とかよく言われるんです。嬉しい。シャドウに迷ったらエクセル買いましょう。使用感だけでなく褒め言葉も含めてコスパ最強。

 

アイメイクはシャドウしてビューラーだけのことがほとんど。マスカラとラインはサボってます(笑)対面するのが年配の方ばかりなので気合は入れません。

 

○リップ○

リップ大好きなんですが、マスク着用するので無色もしくは薄ピンクのリップクリームをサッと塗るくらいです。

DHC エクストラモイスチュア リップクリーム 1.5g https://www.amazon.co.jp/dp/B00MTDKODY/ref=cm_sw_r_cp_api_jnnYAbMRAWJDY

ほぼこれです。私寝る前もこれです。高校生の頃からDHCのリップをうろうろ使ってます。

 

こんなもんですかねぇ。プライベートでおめかしして出掛けるときは服装などに合わせて色々変えるのが大好きなのですが、完全に「健康的できちんと見えて年上受け(特にお年寄り受け)がよい」ことだけを考えたメイクです。

 

これ誰が楽しいのかな?私は楽しかったから良いということにします。

「坂道のアポロン」の臨場感の話

私は長崎がとても好きだ。

初めて行ったのが高校の修学旅行で、そこから街の持つ多様な異国感がとても好きだ。

あまりにも好きが募りすぎて、大学の卒業旅行でも、周囲が海外に飛ぶなか春松竹の合間に長崎にみっちり三泊した過去がある。帰りの空港で友人に「帰りたくない、長崎の猫になりたい」と駄々をこね、冷ややかな眼差しを向けられたことも記憶している。

 

さて私は先日、久々の一人映画を堪能してきた。作品は「坂道のアポロン」。制作が公表された段階から「絶対に好き」と思い、見たい映画リスト入りさせていたのだが、公開早々に足を運んだのはやはり先日のJr.祭りの余韻が残っているからだと思う。あの三木監督に撮られる松村北斗って絶対いいよな、という軽率さ。いいんだ、軽率こそオタクの素質。

 

まず言う。これは映画館の音響の元で観るべき映画です。

各演奏シーンの感動、特に文化祭でのセッションの迫力と熱量はまるでライブのような臨場感。

素直に飾らないむき出しのセッションがとてつもなくかっこいい。

これを映画館の良質な音響の下で観なかったら後悔すると思う。

 

出演者の方々の瑞々しさと強い眼光がまた魅力的でもあります。

主な出演者は高校生チームと大学生チームの大きく二つ。

それぞれの感性の差異が物語のカギを担うと私は思っていて、どちらも意思の強い眼差しには違いないのだけれど、向ける対象や方向性などの差異があって、そこに言いようのない「年齢差」や「成熟の差」が感じられます。いやあ、俳優さんてすごい。

 

鑑賞後に色々な方々の感想を眺めていて気付いたのは、しっかりと明言はされていない「戦争の影」という部分。主要メンバーの千太郎が在日米軍の二世という役であるだけでなく、随所にさらりとさも当たり前かのようにちりばめられたそれらが、10代独特のもの悲しさに拍車をかけているように思う。実際に長崎に訪れたときにも感じたことだが、遠方から「平和学習」と称してそれこそ「修学旅行」する他府県の者とは違い、現地の人々にとってそれらの「戦争の影」というものはあくまでも「日常にある悲しみ」のひとつであって、いい意味でそれらが過去のものではない、風化されていない雰囲気がある。そのある種の臨場感が、確かに作品のなかにはあった。

時代背景が60年代であること、舞台が長崎であること、学生運動に参加しているキーパーソンがいること、そして「ジャズ」がそれらを繋いでいること。わざと見えないように忍ばせているのではなく「当たり前に戦争の影はそこに存在している」という部分があるからこそ、自由に生きる選択をする葛藤や悩み、そして強さが引き立っているのではと思った。なんと偉そうな文面。でもどことなく感じていた「言いようのないやるせなさ」「言い尽くしがたい虚無感」という空気感はきっと、ただよう「戦争の影」からくるものが大きいのだと思う。そしてそれをぶち壊すようなジャズセッションがより清々しい。最高。

 

想像していたよりもはるかに素敵な作品で、劇中の音楽を調べて突発的に無限ループするという副作用に悩まされている。そしてこれを書きながら二度目の鑑賞に行くかどうか悩んでいたりもする。ジャニオタなので同じ公演に何度も通うことに一切のためらいもない私は「一公演二千円切って自由に場所が選べる完全指定席って安すぎでは…」と思い始めた。文字に起こすと確かにそうだ、安い、安すぎる。

 

なんやかんや言いましたが、「坂道のアポロン」とても懐かしく、素敵な映画です。

あのセッションを是非体感してもらいたい。

あと、それから、長崎と雨の親和性が最高です。

あのシーンで土砂降り、ベタかもしれない、でも長崎なら大丈夫。

そのあとの雨上がりのシーンも好きです。

答え合わせはぜひ劇場で。