そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

「縁~むかしなじみ~」を観劇いたしまして

「みんながんばってんだよ」越岡さんの穏やかな、静かな声があれからずっと残っている。会場の緊迫した空気の中にぽつんと響いたその言葉が、観劇から一週間経った今でもずっと残っている。

 

この舞台の彼らからすると、私は「帰省はするくせにここに住むのは嫌」「それもいつまで続くことやら」と言われるであろう「故郷を捨てた」タイプの人間だ。しかも一年は田舎に戻っていたので、ふぉ~ゆ~の四人が演じるそれぞれの気持ちがなんとなく理解できる。だからこそ切なくて、苦しくて、もどかしくて、まるで自分を見ているかのように感情が次々と矢継ぎ早に沸き起こり、最終的には涙にならないと手に負えないくらいだった。

 

今私が暮らしている地域はいわゆる下町という雰囲気があり、割と活気がある。そして自分が徐々に大人になっているということもあるのか、子供のころはわからなかった大人たちが抱えているものも自分のこととして熱を帯びて肌でわかるようになってきていた。「そこに暮らす」という覚悟って、子供にはわからない何かがある。それは得体のしれないものを背負うことでもある。

 

さわやかな、コミカルな、懐かしい日常の描写が続く。「ああこの風景見たことあるな~」という、なんてことのない日常の中、登場人物のそれぞれがなにかしらの問題を抱えて、「なんてことないように」生活をしているんだ、と改めて目の前に突き付けられているような気がした。そういう「頭で考えたらあたりまえのことなんだけれど忘れがちな、でも大事なこと」ってわだかまりの根源な気がします。

 

それでも、もしわだかまりがあったとしても、思いをぶつけ合える関係性って大切。一回目の観劇の直後にその関係性をふぉ~ゆ~の四人で描いてくれたことにまず感謝をした。そこに彼らの歴史が見え隠れしている。

 

劇中の後半に辰巳の「お前らこの14年の間何してた?死んでいく町をただ見ていただけじゃねえのかよ!」という言葉を発端に四人の幼馴染たちの本気の口論のシーンが始まる。この言葉がしばらく重くのしかかる。一度田舎に戻ったにも関わらず今現在実家を出ている私には、この辰巳のセリフがある種の背徳感として胸に鉛のような感覚としてとどまっている。そこから始まる地元に残っていた三人の感情の吐露が始まる。「わかる」「その気持ちとてもわかる」の連続。正解はないんですよね、それぞれ全うに生きているのだから、間違いはないんですよね。

 

そして冒頭の越岡さんのセリフに戻る。―――「みんながんばってんだよ」

 

そこですっと会場全体の緊張感がふわっと解ける。その緊張した感情が解けた瞬間に、それまでの劇中でのセリフがフラッシュバックする。マツの「お前少しでも手ェ抜いてたか?!精一杯やってだめだったんだ!仕方ないだろ!」越岡さんの「動物ってさ、危険を感じたら逃げるんだ。人間だけだよ、逃げちゃだめ、みたいなの。…逃げちゃいけないときもあるけど」そして「大樹(=福ちゃん)は安心だから」に行きつく。

 

ああきっと、福ちゃん演じる大樹は、「守ること」に執着しすぎていたんだ。

 

大樹は死んだ両親が残した居酒屋を祖母とともに守っている。

その祖母も糖尿病性網膜症で徐々に視力を失いつつある状況だ。

越岡さんがもたらした一瞬の静寂でなんとなく胸のつかえがとれた気がする。

 

そして気づくのは私も「なにかを守ること」に必死で、そこに「自分の意志」が失われていたんだということ。なにより「自分自身を守れているか」ですよね。

 

自分が変化していないまま時間だけが経過しているようにおもってしまう地方独特の閉塞感。そのなかでどう生きていくか。でも変化していないと思っているだけで、周りも変化しているし、少なからず自分自身も変化をとげているはずなんだよね。間違いなく「守るべきものが増えている」という変化はあるわけだ。

 

 

総じて言えるかはわからないけれど、言葉に表しきれない「あまりに日常的に落とし込まれた」感情に揺さぶられる舞台でした。「他人事じゃない」感覚になる舞台で己を顧みてしまいました。

 

ふぉ~ゆ~の役柄それぞれに与えられた性格というか役柄がまさに適任。

「マツってふらふらしてそうで根底はぶれない、まさにこういう人だよね」

「いざというときに揺さぶるのって辰巳だよなあ」

「冷静さを失わないのは越岡さんがいるからだよねえ」

「でも最終的に方向性を決めるのって福ちゃんですよね」

なんて偉そうに思いました。

 

ブログの後半戦はほろ酔いで書いているのでもはや思いのたけをつらつら感情的に書き連ねているだけなんですけどね。

 

どのシーンも大好きでこの一週間脳内で開演させまくっているのですが、一番好きなのはだんない節前の大樹とばっちゃんのシーン。問答無用で泣きます。切なくて泣きます。これからのことを考えて行くと「生きていくこと」と「死んでいくために生きていくこと」は両輪として考えていかないとならないなと思う。平均寿命が延びている現代では、これまで「生きていくこと」と「死んでいくこと」と別個のこととして考えられていたことも「死んでいくために生きていく」と猶予期間が生まれてきているなあと。うれしいことなのか辛いことなのかはとらえ方次第かもしれないけれど、そこは折り合いだよね。私たち「若い世代」は劇中のふぉ~ゆ~の四人を見習って悩んでもがいて、ぶつかり合って、それぞれ答えを見つけていかないとですね。

 

とにかく!この舞台にふぉ~ゆ~が出てくれて良かったです。

もう延々と書き続けられてしまう。

見事に酔いが回りました。担当に似たってことで!