そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

「あなたと一緒に生きてみたかった」〜オリジナルミュージカル DAY ZEROを観劇して、漠然と考えたこと

「あなたと一緒に生きてみたかった」

 

その言葉を目の前で発せられたとき、私の背筋がひやりとした。「死にたくない」「生きたい」という死への恐怖、戦争への恐怖が湯水のように語られるなか、メロディーに乗せられたその台詞が、ある種冷静に、だからこそ余計に「戦争というものが今私たちが手にしている、個々の未来をいとも簡単に奪うものなのだ」と頬を打たれたような感覚にさせた。

 

二度観劇したことで大前提である「戦争」への思いはもちろん、散りばめられた「偏見」や「蔑視」についても考えることになった。

 

生死を考えなければならない時に自分がそれまで「認識できていなかった」「見ないようにしていた」「向き合わないようにしていた」自分の醜い感情や思考をも、生死と共に受け入れねばならない、向き合わねばならない葛藤が、それぞれの役柄ごとにものすごいエネルギーでこちらに投げかけられた。LGBTの描写をここにぶち込まれたのも、原作がアメリカ映画だからという理由だけではないと勝手に深読みしている。

 

果たして私たちは何から目を逸らしているのか。

それを自問するとき、畳み掛けられるように翌日を出征日に控えた3人の幼馴染たちが言う。

 

「僕たちは何も悪いことをしていないはずだ」

「でも良いことをしたのか?」

「僕たちはなにもしなかった」

「だから今日になった」

 

これらのセリフは、まさに今の私たちの在り方そのままだと思う。だって私たち、何も悪いことをしていない。人殺しも犯罪もせず、ただ自分の人生だけを考えて、毎日必死にいきているだけだ。そうなんです、「だけ」なんです。それ「だから」今日になってしまった。

 

登場人物たちがもがき苦しむなかで、私たちに訴えかけてくるのは、まさにそこだと思っています。きっとある日突然自分の上に戦争なんて降ってこなくて、じわりじわりと近寄って来て、気づいたらすぐ側にあって、隣に来たときにはもう飲み込まれているんだと思う。

 

以前「小さいおうち」という作品を映画を観た上で原作も読みました。日常生活のなかに静かに、でも確実に入り込んで行く描写が、やけにリアルで「ああきっと、こうやって気付いたら渦中なんだ」と思った感覚ととても似ていて、きっとだからこの世から戦争が無くならなかったんだと思う。「気付いたらそのときだった」とならないために、きっとこうして若い役者たちが集められたんだと思う。若い役者たちがそれらを考え、もがき、そしてまた彼らの観客たちに投げかける。戦争を知らない世代がその世界を続けるためには「例え戦争を知らないとしても、それを知り、自身に起こりうることだと考え、選択していかないとならない」と、作品をもって訴えていると私は思います。

 

 

まだあと明日の1公演の観劇が残っているので、明日の観劇を終えたらまた別のことを考えているような気もするけれど、とりあえず昨日のマチソワを観て考えたのは主にこんな感じです。言葉にし尽くせなくて、他にも「他者を認めることとは」「受け入れるということとは」など、勝手に脳内1人ワークショップを開催しているのですが、書き出したら止まらない上にまとまりそうにもないので、手っ取り早く興味を持った方は是非劇場に行っていただきたいですね!!!!!!!!!!!!当日券もあるし!!!!!!!!!!!!大丈夫?!?!?!みんな後悔しない?!?!?!今しか観られないからね?!?!?!知らないよ?!?!?!DAY ZEROの千秋楽までのカウントダウン始まってるからね?!?!?!