そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

ブレーキに足かけんじゃねーぞ!〜「ニート・ニート・ニート」鑑賞記録

幼い頃「風穴をあける」という言葉が、荒々しくて少し怖いと思っていた。

 

スクリーンのなか「助けに来てやったぞ」とドアが蹴破られた。安井謙太郎だった。久しぶりの「公の姿」だった。いつも見ていた頼もしい最年長から発せられた言葉に、頭をガツンと殴られたかのような衝撃だった。そうだこの人はそういうことを「発する」人だった。

 

Love-tuneからの報告の後、最初の休日に、ふらふらと「ニートニートニート」の2度目の鑑賞をした。自分でもなんでなのかは分からないけれど、取り憑かれたかのようにチケットを予約購入していた。メンバーの姿を見ないとやっていられなかったんだと思う。

 

「今のLove-tuneには、今の謙ちゃんには、きっとレンチの人格が必要だったんだと思う。」それは私が映画を観たあと、いちばんに思ったこと。賢くて冷静で、でも沸々と情熱が溢れている彼らに、きっとレンチの荒々しさや「真っ当さ」は確かに必要だった。少なくとも私はそう思う。

 

破茶滅茶でドタバタと進むストーリーのなかで、主要キャストそれぞれ、目を伏せるシーンがある。目を伏せて、目を逸らして来た4人が、最後には目を合わせて、対峙する。対峙できるようになるまで、きっと彼らは人より時間がかかって、覚悟が必要で、だから「ニート」であったんだと思う。

 

彼らが過去に見切りをつけ、前を向き、未来と対峙したとき、そこにあるのは北海道の真っ直ぐと伸びた一本道だった。遮るものがない、鮮やかな自然に囲まれた、真っ直ぐと伸びた一本道だった。仲間たちが詰め込まれた車を、ただひたすらに、真っ直ぐに走らせる。それはまるで、彼ら自身を見ているかのような感覚だった。「ブレーキに、足、かけんじゃねーぞ」と劇中の安井謙太郎の声が頭の中でこだまする。それはまさに、私たち応援する側の気持ちそのものだった。

 

「不幸のなかで1人っきりになっても、毅然としてろよ」と涼やかに強く言い切る安井謙太郎は、確かに安井謙太郎そのものであったし、でも確かにレンチでもあった。そしてまさに今、彼がその姿をもって証明している。

 

彼らのこれまでとこれからの間に、この作品が置かれたことは、偶然かもしれないけれど、でも確かに「今」必要だった。彼らにとってもこの作品のなかに点在する言葉たちは必要だったと思うし、私たちにとっても必要だと思う。そんな分岐点に、否「門出」にこの作品があって良かったと思う。

 

幼い頃「風穴をあける」という言葉は、荒々しくて少し怖かった。でも、今は違う。風穴をあけない限り、ドアを蹴破らない限り、始まらないこともあると知っているからだ。その先にあるのはきっと、仲間を乗せた車で、真っ直ぐな一本道で、青々とした空の下、ぐいぐいとスピードを上げて、リミッターを外して進んで行くだろう。そう期待している。