そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

僕は「きちんと愛されている」のか?〜「だいたいぜんぶ展」から考えたこと〜

道に迷い、急な坂を駆け上がりながら「乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展」に行ってきた。改めて言葉にして認識したことはなかったけれど、愛されるというのは、大切にされるということだ。

 

間違いなく乃木坂46は今、多くの人に認知され、国民的アイドルグループの仲間入りを果たしていて、彼女たちの持つ市場価値は計り知れないほど高い。敢えて「愛されている」とか「好かれている」と使わないのは、この展覧会を通して、それらの本質について考えなおしたからだ。

 

この展覧会を進みながら、それぞれが「乃木坂46」に対して愛情と情熱を注いでいると思った。「それぞれ」というのはメンバー自体はもちろん、運営や製作陣も含めた「関与する全ての人物」のことで、展示物や構成を通してそれがちらちらと垣間見える。

 

彼女たちは愛されて、大切にされている。

私は素直にそう思った。

 

ファンが「そう」なのは当たり前だけれど、そうではない、仕事として彼女たちに関与している人たちから「そう」いうものが伺えるのは、嬉しくて、温かくて、とても誇らしい。自分の大好きな人たちが「きちんと愛されたうえで仕事をしている」ということは、とても幸せなことだ。

 

 

そしてここからは乃木坂46から大きく話題が外れる。ここ最近、きちんと愛されているだろうか、と疑念を覚えることが続いている。

 

私はまだNGT48の山口真帆さんの件に関して、全く納得できていない。あれはグループ内の揉め事でもないし、ファンの危険行動でもない。未遂であろうと暴行事件だ。いつのまにか話がすり替わっている。そしていつのまにかその話題が上らなくなっている。いいのかよ、それでおしまいにして、いいのかよ。

そもそも、10代20代の女性を集めて仕事をしているのにも関わらず、危機感がとてつもなく薄い。「自宅までの送迎」や「防犯ブザーの配布」という超初歩的な防犯対策を、これまで行っていなかったことの方が驚きで、数日かけて対策を練ったあとの企業の発表がそれなのかとため息をついた。あまりにも薄情だと、私は思った。なにも解決していない、きっと解決する気もないと、私は思った。

 

女性アイドルだけでなく、男性アイドルに対しても思うことは多々あって、涙は昨年までで流し切ったくらいだ。(そこらへんは散々ブログでも書き荒らしているのでなんとなく察して欲しい。)

 

果たして、私の好きな人たちは、ちゃんと愛されているのだろうか。

 

もちろん仕事なのだから、愛だのなんだの必要ないだろうというのも分かる。でも、自分の大好きな人たちが、その周辺の人たちにきちんと愛されて、大切に扱われていると実感したとき、それはそれは満たされた気持ちになった。

 

アイドルは多くの人に愛される存在で、本人たちもそのために多くの努力と犠牲を払い、そこに在り続ける。だから彼ら、彼女らがぞんざいに扱われることは見ていてとても胸が苦しい。

もっと多くの人に愛されて欲しいのはもちろんだけれど、それよりもまずはきちんと、周辺の人たちに愛されていて欲しいと願ってしまう。自分の大好きな人たちが愛されて大切に扱われている姿は、とても幸福度が高い。

 

きちんと大切に扱われているだろうかと、不安に思うことがある。それは自身もそうであるし、自分の大好きな人たちに対してもそう。特別な幸せがなかったとしても、せめて大切に扱われていて欲しい。私の好きな人たちは、それに対して愛情を見いだすことのできる人たちだから。

 

話は大分逸れたが、展覧会として、グループとして、乃木坂46の芸術性の高さは本当に素敵。その洗練された繊細さが本当に大好きだ。いつも乃木坂46の魅力を挙げるときに「見た目が良い」「センスが良い」「芸術性が高い」の3つを挙げ「ぜんぶ見た目じゃん」と笑われるのだが、この展覧会を通して「そこに到達するまでの情熱や愛情」について触れられた気がする。ああ、乃木坂46に関係する人たちって、みんな乃木坂46のことが好きなんだな、とそう思える展覧会だった。また行きたい。是非行きたい。買えなかったグッズも買いたい。図録が届くのもとっても楽しみ。こうやって、愛情が広がっていくのって、とてもわくわくして気持ちが良い。そんなグループがもっと増えたら良い。