そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

かつて存在に名前を付けてくれた渋谷すばるという人の話

何度目覚めてもそれは決して夢ではなかった。

むしろ目覚めるたびにまざまざと現実であるということを認める気分だった。

 

私の青春と私の中の自由は一つのピースを失うことになった。

関ジャニ∞から渋谷すばるが姿を消すことなど、誰が想像しただろう。

 

私はもうすでに「エイター」と名乗れるような存在ではなく、「かつてエイターと呼ばれた者」くらいの存在なのだけれど、エイターであった頃が自分の中のオタクの基盤であり、今現在親しくしているオタクの友人たちの大半がエイターもしくはそれを通過してきた者たちだ。それまで交わることがなくても、同じグループを好きでいるという共通項が何年も私たちを繋ぎ続けている。

 

私たちの存在は渋谷すばるによって名前が付けられた。

それは同じ時間を共に過ごし、楽しみ、同じ音楽を聴き、同じことでお腹を抱えて笑い、人情に泣き、でも最後には笑って「最高で最強」と別れる名のない私たちに、一つのアイデンティティを与えるものだった。

名づけるということはそれはそれは責任の重いもので、ファンにとってはアイデンティティでもありステータスでもあった。悪い言い方にすればある種の束縛であり呪縛であった。でも後者になることはないくらい、彼らはいつでも真摯で溌剌としていて、名のないオタクにアイデンティティを与えてしまうという重い責任も軽々とこなしていた。

 

そんな名付け親がグループを去るという衝撃を、私は阪急電車の中で受けることになった。数日前のスクープ記事は1ミリも信用せず「いやだって、すばさんだぜ?すばさんが辞めるわけないやん」くらいの感覚だった。この圧倒的信頼感。「会見するなんて、本当みたいじゃん」なんて思いながら電車が停まったのは高槻市で「ヒナちゃん大丈夫かいね」なんてふわふわした感覚だった。

 

私はかれこれ10年ほど錦戸担だったので「グループを去る者側のファン」の経験もしたし、同様に上田担でもあったので「グループに残る者側のファン」の経験もしているが、まあいつまで経っても慣れないし心苦しい。いまやSMAPが分裂するような世界なので、なにが起きてもおかしくはないだろうとはわかっている。頭ではわかっている。でも、それでも、それでも寂しくて、悲しくて、これまでのすべてを置き去りにしても追うものはなんなのか、ついつい考えてしまう。でも私たちを繋ぎとめてくれた素敵な人が、最強な才能を手にしていて、最高を目指したいという夢を抱いたのなら、きっとそれはもう、それこそもう、メンバーも背中を押すしかなかったんだと思う。頭では分かっていても寂しさは湯水のように溢れかえるし、曲を聴くたびに虚無感に苛まれる。それを昨日から延々と繰り返している。

 

グループの真ん中には三馬鹿の年長三人が居て、三人がいたから関ジャニ∞関ジャニ∞だった。年下のメンバーはいつまでも年長三人のことを尊敬し続けていくし、年長三人は年下のメンバーのことを慈愛に満ちた眼差しを向け続けていくものだと思っていた。そんななか、村上信五がさらりと「村上信五」として言った「おさななじみ」という言葉は、これ以上のない関係性を表した言葉だったと思う。彼にとって渋谷すばるとはメンバー以前の問題で、確かにおさななじみという存在だった。

 

私はまだ受け入れられていない。エイターを通過してしまった私でさえ受け入れられないのだから、きっと現役のみなさんは言い表せないくらい取り乱しているだろう。すぐになんて受け入れることは出来ないもので、それでもファンは虚無感を抱えたまま、ついていくしかないんです。ただただ、時間を重ねて、寂しさを紛らわせるしか、きっとないんです。終着地点を見つけられなかったくせに、酔った勢いでつらつらと書き連ねましたが、きっといつかまた、一緒に歌ってくれると信じて、背中を押すしかないんでしょう。

 

今度はきっと、自分自身に名前を与えるのであろう彼に。

幸多からんことを、祈って。