そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

忍ぶことにはなむけを。あえて放棄した先の未来に花束を。

諦めに似たものは、確かにあったと思う。

正直年齢差も体格差も経歴値の差もあったし、応援しているからこそ、目の当たりにしてしまう温度差だってあった。

 

グループとして何か新しいことに挑戦するとき、必ずと言っていいほどメンバー個人や括りに関して、オタク同士の取るに足らないいざこざがどこかしらであったし「グループが若いと争いも若いわね」なんて呆れて距離を取ることだって「いつものこと」と化していた。

 

それぞれ自分の好きな「その人」を応援しているのだから、最終的に「その人」がデビューできますように、夢を叶えられますようにと願い、応援をするのは当然のことで、何も間違えてはいない。

 

少年忍者5年目の夏、そう、つまりこの夏。

単独公演が始まるや否や「少年忍者、なんだかいつもと様子が違うぞ」とオタクたちのそこかしこから漏れ聞こえてきていた。そして単独公演千秋楽の直後から翌朝に至るまでSNSは少年忍者の話題で持ちきりだった。(結果として良くも悪くも、ではあるが)

 

少年忍者は私たちに「少年忍者として」の夢と覚悟を「少年忍者のメンバーとして」打ち明けてくれた。決して「個人として」ではなかったと思う。

 

5年目にしてようやく、と言われてしまえば返す言葉がない。褒め褒めマシーンの私だって思った。けれど当時中高生である彼らは当然揺らぎのある時期で、大人びていようともまだまだ子どもで危うげだった。まだ未来だってふわふわと実体がないものだった。

 

そんな彼らが感情をさらけ出して、こちら側に訴えてきたのだ。「お前らが諦めるな」と。

 

正直まだまだ拙くて、言葉足らずで、危なっかしくて心許ない部分は、本当にびっくりするくらい沢山ある。その一部分だけが掬い上げられて、各方面に飛び火している現状には心が痛むけれど、いつかは必ず向き合って傷ついて学んでいかなくてはならない課題でもある。芸能の仕事でなくても、私たち一般人であっても、それは一生ついてまわることである。

けれどそれでも、予測ができたであろう恐れがあったとしても、自分たちの弱い部分、柔らかい感情的な部分、本来ならば近しい間柄の相手にこっそりと吐露するような部分を、こちら側に開け放ったのだ。彼らが手の内を明かすことは、降伏ではなく交渉だったんだと思う。相手取られたのは私たちだった。他の誰でもない、少年忍者を応援している私たちだった。

 

少年たちの胸に、どれだけの覚悟があったのか。

推察するだけで背筋にぴりりと緊張が走る。

 

少数精鋭は問答無用でかっこいいけれど、別に手札が多いカードゲームだって楽しいじゃないか。全員が最高の手札なら、どんな状況でも最適解を導き出せる。

 

忍ぶことをあえて放棄した少年忍者の描く未来に、諦めではなく期待を込めて。