そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

Hey!めっちゃ元気やで! #松竹座で同窓会 あの頃がJr.担の青春時代な気がして

ウェルカム三連休!!!!!!!!愛してるぜいえあ!!!!!!!!

というわけで、絶賛咽頭炎で寝付けないので参加しようと思っていた企画に参加しようと思います。みんなもこの不安定な季節、体調管理に気を付けてくれよな!!!!!正しいテンションがわからなくなってきた深夜1時半の私です。

 

企画については以下のリンクをご参照ください。私が購読させてもらっているブログです。

 

ichigonokimi.hatenablog.jp

 

 

さてさて、私が関ジュ担として初めて松竹座に足を踏み入れたのは、チケットを確認したところ2013年の春松竹でした。前年の秋に関ジャニ∞の「ジャニ勉」という番組内で金内柊真さんに一目ぼれし、うだうだと雑誌を漁る何か月かを過ごしたのちにクラスメイトに「なあ、チケットあるから行かへん?」と誘われて行ったのがその初松竹だった。奇跡か。当時の松竹座のチケットがたまたま当選したものの一緒に行く相手がいないという事案も奇跡だし、そこにうだうだと「可愛い子がいるけどジュニアの現場って勝手がよくわからない」とほざく私に白羽の矢が立つという奇跡。そこで初めて「担当にうちわを見つけてもらう喜び」を知ることになり、どっぷりと沼に沈んでいく。

 

振り返ると「あの頃の松竹座」には「松竹のお姉さま」たちが居て、どこかギラギラとした殺伐とした雰囲気が漂っていた。それは「マウンティング」と揶揄されるものというより、どこか「プライド」があったように思う。「私はこれくらい全力で推している」というマウンティングではなく「まあこれくらい当然よね」というプライドがその頃の松竹座にはあったと思う。この微妙なニュアンス、伝わります?それはファン側だけでなくステージのジュニアたちからも溢れていて、初めての「ジュニアだけのコンサート」を終えた私はとても衝撃だった。とてつもなく楽しいものを見つけてしまったと、これからのオタクライフにわくわくしていた。

 

友人が増えて松竹座に通うようになると、現場期間中の「放課後感」がとても楽しかった。共通の友人が入る日に休日だと、自分は入らなくても難波に行き、スタバでファンレを書いたり一緒に食事をしたりとわいわいと過ごす時間が楽しかった。「行けば誰かがいて、相手をしてもらえる」というのも、デビュー組担だったときにはあまりなかったので新鮮だった。ツイッターで知り合って仲良くしてくれていた「松竹のお姉さま」と食事の約束を取り付けたときも嬉しかった。

結局現場は全部楽しかったけど、その前後でオタクたちとわいわいがやがやするのが一番楽しかった気がする。普通に大学生活を送っていたら出会わないであろう人たちと一緒に食事をし、会話をするのは現場そのものと同様にわくわくした。今では当時の友人たちとは疎遠になっているけれど、なぜかお姉さま方とは関係が続いていて、呑んだり泊まったり、友人の愛娘の動画をめちゃくちゃリピートしたりしている。

そうそう、二十歳を超えたくらいの「大人っぽくなりたい」時期にそうやって幾多の「お姉さま」たちに「関ジュ担」を叩きこまれた(言い方)ので、キレイ目なファッションやメイクを研究するのも楽しかった。ヒールを普段から履くようになるのも、自分がピンクよりも赤いリップの方が似合うと知るのも、私はそのころだった気がする。一人っ子の私にとって「少し大人な友人」というカテゴリーが生まれたのもあの頃の松竹座だった。

あと私は当時で言う「年下組」の担当で、その年下組のオタクでコンレポを詳細にする人が少なめだったので、コンレポをツイートして反応があるのも嬉しかった。もともと文章を読んだり書いたりするのがとても好きだったので、自分の記録に反応があることにもとってもわくわくした。

 

さて、前述のとおり、私の担当の金内柊真さんはその後2015年に退所をし、次なる夢を追うことになる。そのため私はその後松竹座の中に入ったのは一度だけで、ある種「オタクとしての華の時代」はそこで終わった気がする。現場前後の放課後感も相まって、どこか高校時代のような青春感があった。なにをしていても結局楽しい時期だった。こうやって企画が立ち上がるくらいだから、きっと当時の方々にも、少しはそんな感覚があるんじゃないかなあ。コンサートそれぞれに思い出はたくさんあって、どれも素敵な思い出なんだけれど、「あの頃の松竹座」ってなると私にとっては友人たちとのかかわりが一番に出てくる。あの頃の松竹座が刺激的で楽しかったのは演者があってこそではあるけれど、そこに「集うこと」も大きかった。いまだに飲みながら「あの時担当が」「あの曲良かった、また見たい」などと話題になるくらい、とにかく同じものに夢中だった。

 

さてさて、この企画におけるある種メインの話題。

今私がなにに夢中か?という話題に行きましょう。

 

まず私は今、ふぉ~ゆ~の福田悠太さんのファンをしています。せかいいちかっこいい。

あとひっそりとふんわりとLove-tune長妻怜央さんのファンでもあります。(今現場どころかグループとしても露出がなくて悲しいです、とても。)

そのため足を運ぶのが主に劇場で、観劇主体のオタクをしています。

また乃木坂46若月佑美さんや元AKB、NMB48梅田彩佳さんのゆる~いオタクでもあるので、こちらもやはり観劇やSNS主体のオタクをしています。

文学部出身ということもあり、もともと舞台・お芝居が好きだったので、今までで一番落ち着いたオタクライフだと思う反面、突発的に「うちわが持ちたい!C&Rしたい!」とコンサート欲に苛まれることがあります。その欲望がピークに達したときに作った怜央くんのうちわを使う現場をください。現場がないなら私の家の下に来てくれたら振ります。2階席のうちわに気づく体験がしたいです。(不審者)

 

あとコンレポ経験からかはわかりませんが、こうして自分の考えていることや感じたことをブログやツイートにしたためることが相変わらず好きで、ゆるゆると更新しています。いろいろな人に紹介したい、知って欲しいと思った物事・作品についてもつらつらと書いているので、これを機にチラ見していただけたら幸いです。だいたい真夜中にほろ酔いで書いていることが多いので乱筆ですが、故に本音です。ちなみに今日は真夜中ですが風邪をひいているのでアルコールは摂取していませんのでご安心を。

 

ねえこんな感じでいいのかなあ?

ブログだとひとりよがりで不安になるから、ほんとに同窓会ができたらいいのにね(笑)

 

結論!!!!!あのころの松竹座、めちゃくちゃに楽しかった!!!!!!!

以上!!!!!私は寝ます!!!!!!!!!!!(気づいたら3時過ぎてて引いた)

元担が本を出版した話

出版の知らせを聞いたときも、発売日も、怖くて読むものかと思っていた。でも発売日はそわそわしていたし、その日の夜に近所の本屋2件を回って、取り扱いがなくて無意味に私は切れていた。「なんで置かないんだ」とぷんすかしていた。「買うものか、読むものか、私の好きだったステージの上の彼はもういないんだ」と思う自分に反して「こうなったら私が買ってやる」と、別件の用事とかちあわせて、トークイベントの会場となった本屋に行った。取り扱いがないなんてことは絶対にないと思って。取り置きとかじゃなくて、陳列されているところを見たかった。私、本棚に収まっている本がいちばん好きなのです。仕事だったのでトークイベントには参加しなかったけれど、会場チラ見はした。「ここに居たんやなぁ」と思った。さながら寺巡り。

 

それはさておき、繁忙期や提出物が重なりバタバタしていたので今日になってようやくきちんと読むことができた。友人との約束で大阪に向かうまでの往復の移動時間で読み切れる文量で良かった。

 

内容に関しては割愛するが、まさか、こういう形でまた「僕のことを応援してくれたこと、絶対に後悔させません」なんて言われるなんて思わなかった。何度もステージに立つ彼から言われたこの言葉を、また、言われるとは。後悔なんて一度もしたことがなかったのに、それは彼の中ではこれから先も続いていた。

 

彼の方が考え方も生き方も何もかもが大人で、私は実際に応援していた時も何度もそれに救われていたし、自分に呆れることもあった。彼のことを応援し続けるうちに、5つも年下だということを忘れるくらいに彼は大人だった。

 

退所が明るみになってから書いた最後のファンレターにも書いたが、彼ならどこに行っても大丈夫だと思った。実際に腹を割って話したことなどないのに、なぜかそんな絶対的な信頼があった。それってきっとすごいことで、それは今でも思う。うまく言えないけれど、彼はすごい。

 

現時点でなにがしたいんだと思わないことはない(笑)が、その信頼が私にはあるので、陰ながら、なんとなく応援していようと思う。何をするでもなく。彼が、彼の思う幸せを手にしてくれたら嬉しい。そんな距離感でこれからも。

 

あっさりとした感想だけど、そんなことをふと思った次第です。夢中になって書いていたら特急に乗り換えるタイミングを見失った準急電車からお送りしました。お腹すいた。

そう、それは呼吸をするように。〜映画「カランコエの花」を観て

人ってきっと、呼吸をするように、誰かを好きになって、たまらなく幸せな気持ちになるんだと、幼い頃は思っていた。

世間で言う「大人」になるにつれて、それがなんと難しいことなのかと思うようになった。家族だけでなく同僚や上司、友人同士でも話題になる「結婚」のワードに頭を悩ませる時期もあるし、でもその反面「結婚って本当にしなければならないのか?」と思う自分もいる。

「この年齢で」「彼氏がいない」私は「女性芸能人が好き」だからと職場で「冗談として」「そっちの気がある」とからかわれる。ここで波風を立てないためには笑って「違いますよぉ〜!」と言うのが正解。でも心の中で私は言う。「だったらなんだ」「てめぇには関係ねぇだろ」と。あらまぁお口が悪い!

 

「だったらなんなんだ」と言うのがLGBTに対しての私の感覚で、世間がやんや言うのを見ながら「別にそういう人なんやなぁ、としか私は思わんけどなぁ」と思っていた。確かにセクシャリティがストレートの人との恋愛では齟齬があるかもしれないが、私の中では「ストレート同士だろうと両想いになるのは奇跡やろ」という感覚なので、別にそうなんやなぁ、としか思わなかったりする。

 

女子大女子寮暮らしで4年間過ごした上に浮いた話が少ししかなかった私は、あるとき母から夏休みに正座で改まって言われたことがある。「あなたの恋愛対象は女性か?」と。テレビを見ていたときにふと言われたので、咄嗟に笑いながら「違うよ」と答えたのだが、母は表情を崩さずに「真面目に話をしているの」と一蹴した。私は驚きながら改めて否定をした。でも今なら分かる、母は受け入れる覚悟をしていたんだと。

 

映画「カランコエの花」を観てきた。今まさに、帰り道の電車でこれを綴っている。とってもみずみずしくて、儚くて、飾り気がなくて身体に染みていくような映画だった。観ながら「自分も当事者である」ということを自然と考えた。私が女性であるということと同様に、現在「LGBT」とひとくくりにされているひとたちは当たり前に存在しているということ。自分も「当事者」であることを、きっと私たちは忘れてその話題に関して過剰に敏感になっている。と私は思う。

 

私は「受け入れられない側」の感覚がおそらく元からあまりないので「受け入れる」というよりかは「認識する」くらいの感覚で生活していて、もっとそれくらいライトに感じてもいいものなんじゃないのかな、なんて思うんですよね。「あああの子は彼が好きなんだ」というのと同じ感覚なんだけれど、伝わるのか否か。

 

監督さんのトークショーも運良く参加できて、その中で印象的だったのは「センシティブだと敬遠するのは拒絶するのと同じ」(だいぶ意訳)という話で、この言葉は私が普段抱いている感覚をすっと言葉にして飲み下してくれた気がしてとっても好き。そう、だからどこかで考えなきゃいけないし、敬遠するこたぁないし、考えるきっかけというか、そういう大袈裟なことでなくて、せめて「LGBTって敬遠することではなくて自分も当事者なんだなぁ」という感覚だけでも、この映画を通して考えてみて欲しい。

 

「みんなが生きやすく」という監督さんの言葉は本当で、考え方や生き方が多様化し始めている今だからこそ、考える、感覚を養う、実りのある作品です。どの人たちも素直で純粋で、でも捉え方が違って、だからこそするっと自分のなかに取り込まれて行く、不思議な感覚の作品です。揺れるバスのシーンと、ラストの音声シーンが私は大好きで、胸が締め付けられる感覚でした。私も誰かを好きになりたいと、今では素直な気持ちで思います。

東京ドタバタ遠征記録〜台風と共に上陸した旅記録〜

6/10〜12の二泊三日の東京遠征が終わりました。いや、正確に言うと今さっき新幹線に乗って京都に帰っているところなんですけど。

 

聞いて。めっちゃ楽しい三日間だったの。

トラブルだらけだったけど、それらを含めてもめっちゃ楽しい三日間だったの。最高。だから自分がいつでも見返せるようにブログにしちゃおうと思って。

 

まずこの旅の主な目的は以下の2つ

・DAYZEROの観劇(10日のマチソワ、12のマチネ)

・休演日の11日には千葉に住んでいる父とランチ

 

あとは会えるだけ関東住みのオタクと会って、出来たら「東京っぽいごはん」を食べ、久しぶりにミラーレスを携えてお散歩したいと思っていました。

 

だがしかし、夜行バスに乗車する9日夜になって事件発生。女の子が月に一度来るアイツが遅れてやって来た。そして関東の天気予報によるとどうやら台風が来ているらしい。

すこぶる幸先が悪い。

でも大丈夫、繁忙期明けのアドレナリンと、自担の福田悠太と推しの梅田彩佳が目前となった私は、それくらいでは凹まない。まぁどうにかなるもんだ。

 

夜行バスで爆睡するために22時までバイトをし、終電の時間に間に合うように1時間半でシャワー、洗濯、食器洗い、軽食、残りのパッキングとゴミ捨てを終える無駄なハッスルをした。おかげで全力の大爆睡をかまし、降車駅ですぐに活動開始できず(低血圧あるある)降りてすぐベンチで休憩を挟んだ。日中用のメディキュットのレギンス、あいつぁすごいぞ。

 

マチネ公演までの時間をつぶすため、劇場最寄駅の渋谷まで行き、ネットカフェ初体験をした。荷物を預かってもらえるサービスがあって、メイクや休憩と共にお世話になりました。これはまた使いたい流れ。だがここで二度目の事件発生。

急にチケットが余ってしまった。

結局たくさんの方々にRTしていただきましたが、お譲りできず、空席を作ることになりました。通路横だったから空席にしたくなかったんですが、やっぱり重いテーマだと気軽に入れないのかな…残念でした。

 

でもマチソワどっちも!!!!素晴らしい作品でした。自担の歌があんなに上手くなっているとは思わなかったし、あんなに近くで見てもかっこわるいところが1ミリもない。私は彼が人間であることを疑いました。推しちゃんも相変わらず可愛くて可愛くて可愛くて泣いた。好き。夜に速攻でSNSにメッセージ送った。女の子のアイドルはこういうことできて反応くれて嬉しいね。まぁDAYZEROに関してはブログ多分また書くと思う…深くて一言では片付かない作品で、1人でも多くの人に目の当たりにしてほしい。

 

10日のランチは友人のハイハイ担と「クアアイナ」さんでハンバーガーランチ。作間さんのことを「スクイーズの子」、猪狩さんのことを「ゴリゴリのスイーツの子」と言う私に対し「YouTube見てくれてありがとう(´;Д;`)」と返す優しい人。名前は頑張って覚えますね。ソワレに向かいながら携帯で時間確認したら開演7分前を青劇前で迎えていて地味に焦りましたが余裕で間に合いました。それくらいしか公開できる話題がないくらいのもはやリア友です。

 

そして10日の夜ももはやリア友のオタクと「アリービーチ」さんで食事。

白い砂浜とブランコでテンションが上がり、見知らぬ男児とブランコしてた。楽しかった。食事中3回も誕生日サプライズのお客さんがいて、先月誕生日だった私に向かって「言っとくけどなんもないからね」と言える間柄が気楽でいいなと思った。

 

この日は「映えごはん」の日でした。

みんなに丸投げして良かった。(他力本願)

 

そして夜に父から連絡が入り、翌日の親子デートが台風接近で車が出せないということで中止に。私の金欠がここで本領発揮する。チケットを捌けず、父にお小遣いをねだれず、危機感を持つ。馬鹿なので二日目に二度寝して忘れる。

 

二度寝してお昼ごはんを何にするか、何を食べたいか1時間悩む。結果ホテル徒歩圏内のインドカレー屋さんへ。ここがすこぶるよかった。

「インドのライオン」さんです。美味しかった。お腹ペコペコにしてから行ってな!!!!

 

そして時間がなくて行けないかなと諦めていた乃木坂駅を目的地に。前回はアルバムに合わせたポスター展示と乃木神社の参拝が目的でしたが、今回は国立新美術館ルーブル展。国立新美術館ということで、こんなこともしました。

やるよね〜やるよね〜!!!!

ルーブル展もすごく良くて、私は彫刻はよく分からないんだけど、やっぱり石膏とかブロンズよりは大理石の作品が好きだな〜と思ってた。あまりに美しい彫刻を前にして「福ちゃんもいずれはルーブルに行くのかなぁ」と思ったけど、すぐに「そんなに遠くには行かないで欲しいなぁ」と思いました。その前に福ちゃん彫刻ではなかった。ナポレオンの載冠の彫刻が私的には圧倒的に素晴らしくて、何分も観てた。1600円であんなに美しいものを舐め回すように好きなだけ観られるのだから、相性のいい美術展ってコスパがよい。ナポレオンさんイケメンでしたよ。

 

大雨だったし、次の予定までやることもなかったしで、観劇ブログを館内でアイスティー片手にぽちぽちしてました。美しい建築物のなかでそれを堪能しながらすごく贅沢な雨宿りをしました。最高。

 

夜はふぉ〜ゆ〜担とお洒落にチーズフォンデュを食べつつ担当グループがいかにかっこいいかの話をしていました。お酒が進み「早く担当たちここに来ないかな」とぶつくさ。ふぉ〜ゆ〜担はすぐに担当を酒の場に呼びたがる。そういうところ好きだぜ。

 

そして越岡さんの出演舞台のポスターを見に入場券を購入するも、ICカードに慣れすぎて、改札から取り忘れるという失態をおかす。その流れがもはやネタ。一生言われるやつ。愉快なオタク。ちゃんとこっしーとやらっち先輩の間で出演者ヅラして記念撮影しましたよ。

 

そして退場し、オタクと別れて帰路について再度越岡さんのポスターの前を通過する。あれだけネタを作ったのに、入場券を購入しなくても良かったという最後の最後まで抜かりのない笑いを提供しました。

 

そして今日はSnowManのオタクと青山のおしゃカフェでランチ(╹◡╹)青山の人たち誰もリュック背負ってないのな!!!!私は自分がバックパッカーかと錯覚したよ!!!!打ち合わせ無しで緑色のスカートが被って笑いました。SnowManとふぉ〜ゆ〜の緑色の人たちが好きな私たち。スイーツは幸せの塊です。

 

そして私的千秋楽(´;Д;`)

見るたびに色んな方向から考えて、色んなことを考えるので、言葉と思考が追いつかなくてもどかしい。出演者も大変やなぁと思う…。たぶん時間を置いてまた第二弾の観劇ブログ書くと思う。

 

4時前に公演が終わり、6時台の新幹線に乗れたらと思っていたので、前から食べたいなと思っていたものの調達に原宿に向かう。途中お手洗い休憩に立ち寄ったビルを出て、たぶんこっち方面だと細い道に入る。が、着いた先にあったのがさっき出たばかりのクロスシアターで、事情が掴めず3秒くらい立ち尽くした。「私めっちゃ福ちゃんのこと好きやん」って思った。

そしてちゃんと大通りを通り、原宿は竹下通りに向かいましたよ!!!!そして着いたのはこちら。

YouTube橋本涼さんが買いに行ったスイーツのお店へ。まだ食べてない。楽しみ♡締めくくりまでオタク。最高楽しい!!!!

 

そんな感じで、終始オタクゴトしか考えずにひたすら楽しい三日間でした。もうすぐ京都に着いてしまうのがしんどい…現実がしんどい…カードの請求が恐ろしい…泣ける…でも楽しかった。今年で一番楽しかった。納得いかないこともたくさんあるしスクランブル交差点超怖いし傘ぶつけられて舌打ちされて「嘘やん?!?!?!」って思ったし、色々キレたけど、オタクしてたら超楽しかった(╹◡╹)また来たい(╹◡╹)会ってくれて、お店探してくれたお友だちのみなさんありがとうございました(´;Д;`)♡また遊んでね(´;Д;`)♡

 

というわけで、あと10分ほどで京都に着くので、準備したいと思います。楽しかったー!

東京〜!さんきゅ〜さんきゅ〜で〜す╰(*´︶`*)╯♡

「あなたと一緒に生きてみたかった」〜オリジナルミュージカル DAY ZEROを観劇して、漠然と考えたこと

「あなたと一緒に生きてみたかった」

 

その言葉を目の前で発せられたとき、私の背筋がひやりとした。「死にたくない」「生きたい」という死への恐怖、戦争への恐怖が湯水のように語られるなか、メロディーに乗せられたその台詞が、ある種冷静に、だからこそ余計に「戦争というものが今私たちが手にしている、個々の未来をいとも簡単に奪うものなのだ」と頬を打たれたような感覚にさせた。

 

二度観劇したことで大前提である「戦争」への思いはもちろん、散りばめられた「偏見」や「蔑視」についても考えることになった。

 

生死を考えなければならない時に自分がそれまで「認識できていなかった」「見ないようにしていた」「向き合わないようにしていた」自分の醜い感情や思考をも、生死と共に受け入れねばならない、向き合わねばならない葛藤が、それぞれの役柄ごとにものすごいエネルギーでこちらに投げかけられた。LGBTの描写をここにぶち込まれたのも、原作がアメリカ映画だからという理由だけではないと勝手に深読みしている。

 

果たして私たちは何から目を逸らしているのか。

それを自問するとき、畳み掛けられるように翌日を出征日に控えた3人の幼馴染たちが言う。

 

「僕たちは何も悪いことをしていないはずだ」

「でも良いことをしたのか?」

「僕たちはなにもしなかった」

「だから今日になった」

 

これらのセリフは、まさに今の私たちの在り方そのままだと思う。だって私たち、何も悪いことをしていない。人殺しも犯罪もせず、ただ自分の人生だけを考えて、毎日必死にいきているだけだ。そうなんです、「だけ」なんです。それ「だから」今日になってしまった。

 

登場人物たちがもがき苦しむなかで、私たちに訴えかけてくるのは、まさにそこだと思っています。きっとある日突然自分の上に戦争なんて降ってこなくて、じわりじわりと近寄って来て、気づいたらすぐ側にあって、隣に来たときにはもう飲み込まれているんだと思う。

 

以前「小さいおうち」という作品を映画を観た上で原作も読みました。日常生活のなかに静かに、でも確実に入り込んで行く描写が、やけにリアルで「ああきっと、こうやって気付いたら渦中なんだ」と思った感覚ととても似ていて、きっとだからこの世から戦争が無くならなかったんだと思う。「気付いたらそのときだった」とならないために、きっとこうして若い役者たちが集められたんだと思う。若い役者たちがそれらを考え、もがき、そしてまた彼らの観客たちに投げかける。戦争を知らない世代がその世界を続けるためには「例え戦争を知らないとしても、それを知り、自身に起こりうることだと考え、選択していかないとならない」と、作品をもって訴えていると私は思います。

 

 

まだあと明日の1公演の観劇が残っているので、明日の観劇を終えたらまた別のことを考えているような気もするけれど、とりあえず昨日のマチソワを観て考えたのは主にこんな感じです。言葉にし尽くせなくて、他にも「他者を認めることとは」「受け入れるということとは」など、勝手に脳内1人ワークショップを開催しているのですが、書き出したら止まらない上にまとまりそうにもないので、手っ取り早く興味を持った方は是非劇場に行っていただきたいですね!!!!!!!!!!!!当日券もあるし!!!!!!!!!!!!大丈夫?!?!?!みんな後悔しない?!?!?!今しか観られないからね?!?!?!知らないよ?!?!?!DAY ZEROの千秋楽までのカウントダウン始まってるからね?!?!?!

「ラストホールド」と見知らぬおじいちゃんのお話

どうもこんばんは。正真正銘のアラサーを迎えました。「長すぎるモラトリアム」ことたんぬです。誕生日当日は完全なるオフ。その前夜「なんか無性に夜更かしして楽しいことをしたい!」と仕事終わりに上映時間を確認し、レイトショーへ。最近レイトショーの楽しさに気づいてしまい、これは別でブログにしたいなと思ってるくらい無駄にこだわりがあったりします。

 

それはさておき、タイムラインで話題の「ラストホールド」を観てまいりました。

テンポがよくてわかりやすくて仕事終わりの夜に観るのにぴったりでした。スカッとしたし、ひたすら顔のいい人たちを観られて楽しかった。こういったエンタメ映画に眉を顰める人もいるけど、絶対に頭空っぽにしてただ楽しい時間を過ごすための映画って必要だと思うんだよな。

 

いやあグループ全員が出演する映画って、なんだかこう、感慨深いですよね。私部外者ですけど。ついついセリフの深読みをして勝手に重ねてしまうんですけど、観てから1日経ってもなかなか頭から抜けないセリフがいくつかあって、そのひとつが先輩の塚田さんの「ボルダリング個人戦」です。私の中ではこのセリフを軸にして物語が変化していくと思っていて、最終面接であったり団体戦に向けての各々の一波乱であったりの「個人」と「団体」の対比を強調する一言だと思いました。月並みの感想。

 

でもそれって「個人」ありきの「団体」という側面があって、個々の長所と短所を補い合う団体戦の描写はなんだか勝手にこみ上げるものがありました。深夜の疲労したオタクはすぐ泣くものなので是非許してほしい。ボルダリング部の活動とジュニアの活動とが、どうしても重なってしまうんだから仕方ない。

 

頭の悪そうな感想を言うと、手フェチの私は終始嬉しい映像のオンパレードでした。チョークまみれのメンズの手って良きですね。かさついたメンズの手がとても好きなので至高でしたありがとうございました。かさついたというか粉ふいてるというか、もはや粉まみれなんやけど。

 

あとあと!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!とてもとてもとても不意打ちでときめいた部分があるんですけど!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!阿部ちゃん先生のある部分のセリフ「ほら。似合うと思うなあ」がとてもとてもとてもときめきました。あのトーンで言われたいが過ぎる。あれ言われた岩本さんはときめかなかったのかな?!?!?!?!私は軽率にあの瞬間阿部ちゃん先生に恋に落ちました。全阿部ちゃんファンの方々すみません、あれは仕方なかった…不意打ちすぎた…お邪魔しました…

 

自分の担当グループがこういう映画に出演するってすごく羨ましい。切磋琢磨している姿を確かにいつも自分の目で見ているけれど、それを改めて物語に落とし込まれて、映像として残るって、ジュニアのグループとしてなんと幸せなことか。そう簡単なことではなくて、全てSnowManのこれまでの活動・活躍が認められてのことで、そういう姿がまた彼らの周囲のジュニアに良い影響があるとますます嬉しいですよね。私は誰なんだ。

 

Jr.祭りのときに感じた「次々と楽しいことが起こる感覚」が確かにこの「ラストホールド」からもひしひしと伝わってきて、言葉にしようとしても「勢い」とか「渦」とかありきたりな言葉しか出てこないのがもどかしいのだけど「今ジュニアから目が離したらいけないぞ」「楽しいことを取り逃がすぞ」という感覚が私の中に確かに漲っています。

 

そうそう、最後になりましたが、タイトルで触れた「おじいちゃん」の話。レイトショーにはちらほらと女性客しかいなかったのですが、予告が流れているときに前列にひょっこりとご高齢の男性が。内心「おじいちゃん観るもの間違えていないかしら」と思いつつ上映開始。そして鑑賞後、照明が点灯されるや否や後ろを向いて、私たち全オタクに向かって「この人たちはジャニーズ(絶妙なイントネーション)なのかい?!?!」と。男性に一番近い座席に座っていらした方が「そうですよ」と返すと「はあ~たまげた。どっかのアスリートやと思って観てたわ~すごいなあ。めっちゃ練習しはったんやろなあ。怪我とかしいひんかったやろか。すごいなあ」と絶賛。ご高齢の方にも楽しんでいただけたようで、勝手に鼻が高くなりました。「元気な若者は高齢者の良い薬」だと思った出来事でした。

映画「娼年」を観て考えた様々な「寄り添う」ということ

日夜を問わず部屋の中の四角く切り取られた画面から垂れ流しになる報道に辟易としていた。

 

幼いころから思春期を経て、成人になってからも、所謂「性行為」であるとか「異性間交流」というものに関して、厳しく育てられてきたと思う。実際私自身もそれらに関して決して積極的ではない。まだまだ幼いころはそれらに対して嫌悪感すら抱くこともあったし、実際にそういう感情を剥き出しにされると、熱を帯びるどころか急激に冷めることすらあった。

 

人の心はとても繊細であることなど、それは生きていたら自分自身の心を持って痛感してるはずなのに、大人になればなるほどそれを隠すのがうまくなる。繊細であることは「多くの他者」と生きていくときに足枷になる。社会の中で人は繊細であっても強靭でなくてはならず、それらの両立は故意には難しい。「繊細でないつもり」で「強靭なつもり」で己を隠している人は多いと思う。それは言わば鎧のようなもので、実際の心にあるものはみな平等に繊細なまま。鎧を身にまとっていようとも、急所をつけば命はない。そんな当たり前のことを、いつの間にか忘れ去られているような気がしている。

 

SNSの普及によって世界中の女性の声が大衆に響くようになった。「me too」の風潮はもっと広く浸透していくといいなと思っている。

それに伴い露呈してきた数々の性に関する言動に対し、なんと愚かで浅はかで忌々しく、なぜこれまで見過ごされていたのかと腹立たしくなる。けれど半面飽きずに連日連夜「悪しき性に関する報道」が続くのは悲しい。これまでの膿の排出ならまだしも、同じ話題をガムのように味がなくなるまで噛み続けているようで、見ているこちらとしては「性」というものに対しての嫌悪感を植え付けられているような気さえする。

 

そんな中、友人の勧めで「娼年」という映画を観てきた。

娼夫となった主人公が性行為をするなかで次第に「人に寄り添うこと」を身に着けていくのだが、 現代における「性行為とはなんなのか」ということを改めて考える映画だと私は思う。娼夫は犯罪行為だのなんだのという声は「映画」として考えた際には取るに足らない議論なので割愛。更に原作があるとはいえ公開中なのであまり内容には触れない。

 

本編のなかで主演の松坂桃李さんが娼夫として出会ったどの女性に対しても、優しく穏やかに接し思いやる描写がある。必ずきちんと目を見て会話し、相手の話を聞いたうえで自分の意見を述べるし、必ず名前を呼ぶ。「商売なんだから」と言われたら終わりだが、連日のように「同意も思いやりも何もない女性を見下したような性的な事例」がそれはそれは溢れかえるなかにいる女性としては、例え商売だろうと前者の方が美しいと思う。そう、そもそも性行為とはただの生殖行為ではなくて、「愛し合う恋人同士が心身ともに寄り添うための行為」であるべきなんですよね。「心の痛いところを探し当てて寄り添う」というようなセリフ(肝心なところでうろ覚え)があったように、身にまとっている衣類と心の鎧をひとつずつ外し、それはそれは繊細な「心と体」に寄り添うことが本来のあるべき「性行為」の姿だと改めて考えなおす作品でした。

 

「同意があった上で相手の痛みに寄り添い満たす性行為と、同意も思いやりも何もない相手を見下したような性行為と、どちらが正当か」と尋ねたらきっとだれも間違うことはないのに、何故よりによって幾重にも鎧を重ねてきた「大人たち」はそれに気が付かないのか不思議でならない。鎧を重ねるうちに内包されたものの繊細さに気づけなくなるのなら、私は鎧なんていらない。それに鎧など身に着けなくても誰かと寄り添うことができたなら、きっと私はそれがなくても強くなれる。

 

ここまで書き連ねてきて、ようやく気づいたことがある。そもそも「SNSがあるから」女性の声が強くなったわけじゃない。もともと女性にだって声はあったはずだ。女性自体が強くなった上でSNSというツールを手にしたから、更にその声を見聞きし真摯に受け止められる男性もいるから、ここまで世界中で問題視されるようになったんだと思う。

多くの人がツールの発達にばかり言及するけれど、女性も男性も時代の流れなのかなんなのか、性に関する認識においてだんだんと寄り添えるようになっているからこそのこの風潮なんだと思う。声があがり事態が認識され、「悪がなんなのか」という認識を社会として人として寄り添いあうことが今のこの世界的な風潮であって、そこにビジネス的な云々かんぬんは必要ないはず。多様化の中でそんな時代錯誤は「古の国・日本」においても浮き始めているのかもしれない。