そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

さて、なにから話そうか

こんばんは、いかがお過ごしでしょう?

…というかこれが最初の記事ですよね、申し訳ない!

初めまして、ふぉ~ゆ~・福田悠太さんが大好きなしがないオタクでございます。

最近の目下の悩み「福ちゃんのかっこよさが140字で収まりきらない」を解決すべく、何年ぶりかわからないブログの開設に至りました。

 

それにしても…いやぁ…どこになにがあるのやら…どんな機能があるのやら…ひとまず実験的に触ってみようかなとこの記事を書いているわけなのですが…ブログの一番最初の記事って通常なにを書くものなのかしら???ひとまず簡単な自己紹介とかしてみる???

 

一言でお伝え致しますと「ただのアイドルオタク」です。男の子も女の子も問いませんし、わりと年代も問わず80年代のアイドルソングもノリノリで歌います。タイムマシンに乗って80年代に行って松田聖子さんに「聖子ー!」って合いの手入れたいと思ったことも何回かあります。基本的に歌って踊る人たちがとても好きです。

 

今回は人生の半分以上お世話になっている事務所内でのオタク経歴?をお伝えして自己紹介とかえさせていただきたい。なぜならオタクのブログっぽいから、という浅はかな考えである。

 

初恋は幼稚園生のときにV6・長野博さん。ええ、言わずもがな、従兄弟に付き合って見た「ウルトラマンティガ」。いまだに母にネタにされるの、私の初恋。ぐすん。

 

その後山本耕史さんにときめく義務教育の二年間を過ごし、ついに運命のときを迎えるのです…!(というか義務教育中に山本耕史さんにときめくって私とってもおませさんでは?!?!)

 

きっかけは中学時代の親友に「今バレーの応援サポーターしてるNEWSのなかで一番かっこいいのがやまぴーだから見て!」と言われたこと。当時彼女は休み時間のたびにやまぴーのかっこよさをひた語りするほど山下智久に夢中だった。私は彼女が大好きだったので、従順にバレーの試合を見ることにする。そこで一目ぼれをすることになったのだ。ここからかれこれ十年以上も応援することになるなんて、世の中はなにが起こるかわからない。とても不思議である。

 

翌日親友に「めっちゃかっこいいね、やまぴー!」と報告をする。しかしなんだか話が噛み合わないのだ。おかしい。髪の色からしてまったく違う。そして親友が生徒手帳から切り抜きを出すことで発覚する。私が一番かっこいいと思ったのは親友の言う「やまぴー」ではなかったのだ。私が従順に「やまぴー」だと思い込んでいたのは錦戸亮という男だった。

 

そうしてかれこれ中高と地方の田舎で全力で茶の間を楽しんだ。大学で京都に出てきてからは現場にもうろつくようになる。今でも親友に言われるのだ。「まさかこんなにはまるとは思わなかった…」と。大丈夫!!!!とっても楽しい!!!!ちなみに現在彼女は別にやまぴーやまぴー言っていない。むしろとっても芸能情報に疎い。この前は「福士蒼汰…?」って言われた。世の中ってどうなるかわからないね(真顔)

 

中高時代の全力茶の間時代に深夜ラジオにはまったことがきっかけで上田竜也の沼にも溺れていた。R-one KAT-TUN出の上田担って珍しいのでは!「この人の声と話し方と意味わかんないとことっても好き!顔はどんなかな!」と雑誌を開いたのが最後。もう上田の沼のど真ん中だった。もうだめだ。沈むしかない。

 

そんなこんなで茶の間も含め長いことふたりを応援していた。たくさん笑ってたくさん泣いた。でもとっても楽しかった。そしてある日のジャニ勉で十年ぶりに運命の出会いを果たすのです。退所されて現在は一般人なのでブログでは名前を伏せますが、とある関西Jr.の男の子がJr.コーナーに出演していたのです。そこから雑誌をひっくり返し、今までスルーしてきたJr.のページをくまなくチェックする生活を送る。もうすぐ年末、というくらいの出来事でうっすらと「いわゆる担降りの危機ってやつかな」と思い始めるのです。そして年末の恒例・ジャニーズカウントダウンの中継を見ていたときのこと。未成年のため観覧席にいた彼がほんの一瞬だけカメラに抜かれました。その瞬間、ほかの誰でもなく彼しか認識できなかったし、その一瞬でふっと「あ、私この人の担当になるんだ」と納得するような気持ちを抱いたのです。不思議体験。この感覚は錦戸さんぶり。

 

そして元旦の決意としてブログで決意表明をしたんですよ、担降りを。当時まだJr.だったABC-Zのはっしー担の友人に「Jr.担になったらオタクやめられないからね…」と説得されたのもこのとき。でも仕方ない。そして大学の友人から「チケットとれたけど行く人いないし行かない?」と誘われ行った春松竹で無事に射止められて帰宅する。そこから三年で彼が退所するまでどっぷりとオタク生活を楽しんだ。現在仲の良いオタクの友人の大半がこのときに知り合っている。

 

そして先に舞台班降りていた友人と辰巳担の友人によりうっかりふぉ~ゆ~の沼の縁まで行ってしまうのです。このときから私は福ちゃんがドンピシャのタイプだった。そして運命の日。春松竹の千秋楽をもってジタンが退所をしたのである。まるまる半月めそめそ夜を過ごし、そして決意した。決意して現在に至るのである。

 

 

「決意して現在に至る」とかっこつけて言いつつほぼ「福ちゃんのお嫁さんになりたいbot」である。中学のころから「理想の旦那さんは小山慶一郎」だったが彼は「元祖」となった。20代になり現実的になった理想の男性像そのものすぎるのだ。そしてこのブログの開設動機に戻るのです。「福ちゃんのかっこよさが140字で収まりきらない」

 

あくまでも自由気ままに「言葉にして残しておきたいことの備忘録」として使っていくつもりなのでどうか寛大なお心でご覧ください!