そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

自力で成功体験を作った話と、そこまでの色んな話

30歳になりました。

10代の頃に想像していたよりも遥かに幼くて、その頃は当たり前のように、30歳になったら持っている予定だった家庭もなく、なんならその欲もないまま、けれどとってもチャーミングな30歳になりました。

 

昨年から引き続き勤め先のある嵐山はもの悲しさすら感じ、観光あってこその京都の財政難もじわじわと露呈しています。そんななかでの転職して3年目。正社員なので雇用は守られていますが、3年目にしてボーナスの支給は一度だけ、未だに所属店舗に後輩は現れないまま、時短営業が継続しています。今の仕事は前職に比べてストレスも少なく、割と気に入っているし向いているなと思う反面、この状況下ではいかんせん不安も多い。去年の自粛期間にも「会社は所属している限りは守ってくれるけど、それにも限界があるな」と当たり前のことを思うなどしました。

 

へらへらとそれなりの仕事をして、自分にとってはプライドを持って当たり前のことをしたつもりなのに、いろんな人に感謝をされて、社会情勢を除けばなにも問題を起こさずに3年目。だけどいざ社外に放り出されたとしたら、なにも持ってないな?と思ったんですよね。「あなたは何に関心を持って、何をしたんですか?どんな結果を出しましたか?」の「何をした」の手札が私には少ない。

 

今年の5月ごろに1度、今の職場に就いてから初めてというくらい全くモチベーションが上がらない期間が続き、上司相手にめそめそ相談したことがあります。そこで「がんばらなくていいですよ」と言われました。「がんばって欲しい気持ちは上司なのでもちろんあります。だけどがんばるのと無理をするのは違うので、がんばれないときは投げ出さないでいてくれたらいいです」という上司の言葉がけに、とても救われました。

 

その場で手を止めて時間を作ってくださって(あまりにも人がいないので作れたのですが)、色んな話をしているなかで「まるまる1年以上、努力に対する成功体験があまりにもない」という結論が私のなかで浮き彫りになりました。「この連休に向けて…」「この客層をターゲットに…」「こういったアプローチを…」とミーティングを重ねて準備してきたことを、その度に出される外出自粛の要請に覆され、反応も見れずブラッシュアップもできない。近隣住民、近隣店舗の方々とは友好的な関係性を築けていても、時折巡回される「よぉやってはりますなぁ」と言いに来る老年男性に満面の笑みで「お陰様で、ありがとうございます」と返す日々。「みんな我慢しているから、辛抱の時期だから」と呪文のように唱え続け、お問合せのたびに聞く「コロナが落ち着いたら行きます」の言葉に対して、もはや諦めすら抱いていた頃でした。

 

このままじゃ駄目だな、と漠然と思ったんです。

私、仕事以外のなにかをがんばりたい。

成功体験を自分で作りたい。

「がんばったね」って言われたときに「そうなの、がんばったの」と言えるなにかを作りたい。

 

というわけで私、久しぶりに勉強しました。

先日試験を受けて、今日模範回答が開示されたんですが、それが間違っていない限り、なんと、合格しました!わーい!褒めてー!

 

受けたのは「食生活アドバイザー」の3級で、国家試験とかじゃないし、6割以上で合格の「めちゃくちゃ誇れるものか?就職に役立つものか?」と言われたら違うのかもしれないんですけど、それでもめちゃくちゃ嬉しいです。

 

前職は外科内科のクリニックで、食事指導を行っていたこともあるし、コンビニのバイトも長くて社内研修も行っていたし、ひとり暮らしをしていて自炊も好きだし「いつか栄養とか、食に関することをきちんと勉強してみたいな」と漠然と思っていて、実は今年の元日にもその話をしていたんですよね。

 

実はテキストを買ったのも数年前で、今は高校で家庭科の先生をしている同級生に「食の基礎!みたいな勉強がしたいんだよね」と話したときに「食生活アドバイザーは食に関わる色んな側面を学べるから、テキストを読むだけでもかなり勉強できるよ」と勧められたんです。当時は「資格のテキストってそういう使い方もできるんだな…」なんて、そっちに感動しましたが(笑)

食にまつわる物流の分野では、コンビニクルー時代はもちろん、現在の仕事で当たり前にしていることたちが食分野でどのように活かされているのか、なんだか社会見学のような気分でしたが、なんだかこれまでの自分の経歴を辿っている気持ちでした。地続きだったんだなぁ。

 

本腰を入れて勉強をするようになったのは6月末。試験日の10日程前。なんとまぁ、完全に舐めているスケジュール。それまでの1ヶ月はテキストをまるまる1冊、2周だけザーッと読み、知らない言葉を調べるだけでした。6月末に「さすがにまずい」と、ノートにひたすら書き出して脳内知識を可視化して整理する作業を、近所のサイゼリヤで1日数時間、休日のたびにしていました。目の前に生徒を想像しながら、心のなかで何度も授業をしました。

ほら「ドラきょん桜」…じゃなかった「ドラゴン桜」でも「誰かに教えることは大事」って言ってたし。実際無人の売場で、商品清掃をしながら同僚に授業もしました。いい人。

 

でもいつぶりか分からない「勉強」って、すごく体力がいるんだって気付きました。「勉強をする体力」って、あります。

 

仕事をするときの脳みそって、基本がマルチタスクというか、同時進行で全く違うことを考えていたり、先の都合や手札を考えたりしながら目の前のことにも集中するじゃないですか?

少なくとも売場に立っている時の私は、目の前のお客様のお話をしっかりと聞くことはもちろん、周りのお客様や他のスタッフの動きを見つつ、満足して頂けるのはどのようなものか、在庫に思考を巡らせつつ、売上のことも考えつつ、窓の外を見ながら「そろそろ雨が降りそうだな、傘立ての用意しなきゃな」とも思っているんです。

だからか「座ってひとつのことに集中する」ってことが最初はすごく手こずりました。3年前は診療報酬の請求でめちゃくちゃ集中してレセプト読みまくっていたのに…衰えた…となりました。学生ってすごいね、日々それを鍛えているわけだもんね…偉いよ…(なお私はとてもよく寝ていた)

 

当日試験会場に行って思ったのは、本当に色んな人が居たこと。広い貸し会議室を複数個使い、たくさんの人たちが受験していました。若い世代はもちろん、私の親世代もたくさんいらっしゃいましたし、シルバーヘアの方々も何人もいらっしゃいました。

 

「自分のためにごはんを作って食べることって、生きていくことを諦めていないようで、自分の生命力を感じる気がして、私すごく好きなんですよね。」と以前このブログでも書いたことがあるんですが、いろんな年代の人たちが、仕事で必要だったり、関心を持っていたりで同じ食分野の勉強をしているって、なんてすごいことなんだろうと感動すらしました。

 

「社会人生活のなかで、今がいちばん時間がある」と半ば自虐しながら、学生時代から変わらずギリギリに詰め込みましたが、どうにかこうにか、私が今の自分に必要だと思った「成功体験」を作ることができてホッとしています。

荒削りの知識なので、もっと覚えたかったところはあるので勉強は続きます。この経験で感じたこと、考えたことを文字にして残しておきたかったので、ご報告(?)も兼ねて。

 

良かった!これで「なにかをがんばった私」で皇輝さんに会いに行けるぞー!