そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

久しぶりに、深呼吸をした。〜映画「あのこは貴族」を観て〜

ひんやりとした4月の夜の空気を、肺いっぱいに取り込んで、私は一駅分、歩くことにした。どうしても、自分の足で歩きたかったから。

 

映画を観た。とても丁寧で繊細な映画だった。

たぶんSNSで流れてきたんだと思う。なんだか映画館に行きたい気分だな…と思ったときにふと「あのこは貴族」という印象的なタイトルと、主演のおふたりの姿を思い出した。仕事終わりに電車に飛び乗って、最寄駅を通過して映画館に向かった。

映画『あのこは貴族』公式サイト

よくある「富裕層と低所得層」の話でも「アラサー女性の結婚への圧」の話でもなかった。確かにそれはかなり色濃く描かれているのだけど「よくある描かれ方」ではなかった。決して描いていなかった。体感を映していたんだと私は思った。

 

女性たちが生きていくなかでの繊細で柔らかな部分を、なぞるような、撫でるような作品で、出てくる全ての女性たちの生き方を否定しない、そんな作品だった。

そう思い、帰宅して改めて公式ページから監督のコメントを読んでみて、更に深く沁み入った。

 

『あのこは貴族』は出自も生きる階層も違う二人の女性が、これまでどんな風に生きてきて、これからの日本をどう生きるのかを描いた作品です。多くの選択肢が用意されているわけでもなく、器用にベストな選択ができるわけでもない。それでも自分の足で立ち、生きていく。

 

少しずつ、少しずつ。生き方の多様性は広がっていっているとは思う。でも多様性は多くの迷いも生む。否定されることもあるし肯定されることもある。でもそもそも、肯定する権利など誰も持ち合わせていないはずだと私は思う。誰が肯定せずとも確かに「生きている」のだから。多様性のなかで生きていく私たちは「否定か肯定か」ではなく「どう共存していくのか」を考えていかなくてはならないと、そう、思うのです。

 

「こういう人と結婚したら安心」「いつまでも夢ばかり見て、現実を見なさい」「早くしないと、子どもを産めない身体になってしまう」「女の子なんだから炊事くらいできないと恥ずかしい」などと幼い頃から少しずつ、気づかないうちに身に纏っていたたくさんの呪いたちを「素肌にセーターを着るような呪い」と私は呼んでいる。あたたかいような気もするし、風が通って冷えるような気もする。あちこちがチクチクと居心地が悪く、薄着で心許ない気もする。気になってしまうと、もう戻れないのだ。

 

 

どこで、どう生きていくの?と尋ねられているような気がした。優しい向かい風のなか、帰路についた。「全部私のもの」で詰め込まれた、自分の部屋に向かって、歩みを進めた。

「あの頃。」の仲間たち、元気ですか?

「人生のなかで今がいちばん楽しいです」

 

「将来の夢はモーニング娘。になること!」

小学校に上がったばかりの女子たちは、厚底スニーカーを履きながら、カセットテープに録音してもらった音源を流し、自分の姿を公民館のガラス窓を鏡にして、いつかモー娘。になる日のために日々練習に励んでいた。そのなかのひとりが私でした。

 

あれだけ「いつかモー娘。になる日のために」日々練習していた仲間たちは大人になり、それぞれまったく別の職業に就いている。「いつか」は来なかったけれど、それでも毎日がそこそこ楽しい。

そして私は今も(異性ではあるけれど)アイドルに夢中だ。

 

映画を観て来ました。

映画『あの頃。』公式サイト

 

「しんどくても帰ってきて推しを見たら元気になる」わかります。

「応援してますも言えない自分が不甲斐ない」わかります。

「俺なんかが行っていいんですかね?」わかります。

 

まっすぐ、まっすぐ誰かを好きになって、応援して、そして仲間ができていく。くるくると表情を変えるアイドルを見て、なんだか分からないけれど涙が止まらなくなること、私にもあった。推しをきっかけに知り合ったひとが、もはや実生活でかけがえのない存在になっていたりもする。

 

「あの頃は楽しかった、なんて過去をピークにしたくない、僕はいつだって今がいちばん楽しい」

 

そんな大人になっているんじゃないかと思う。

これまでもめちゃくちゃ楽しかったけれど、私は今がいちばん楽しい。

 

だけどそれでも「あの頃」は思い出すだろう。

がむしゃらに、ただまっすぐに「側から見れば痛かっただろうな…」という、全身に熱を帯びていた「あの頃」のこと。

 

ふと不安になる時がある。

現場に行かなくなってまるまる1年が経った。

次はいつ行けるようになるんだろうと思う。

「行く」という熱量をまた自分のなかに復活させられるのだろうかと思う。

私にとって「あの頃」は「自由に劇場に足を運んでいた日々」になってしまっている。

 

だけどそれでも、画面越しに、誌面越しに、くるくると表情が変わる「好きなひと」に救われ続けている。ごく自然に、私の生活のなかにアイドルにいてもらっている。

 

大人になるのもいいものですよ。熱を上げなくても、温もりはそこに携えていられる。

 

「あの頃」の仲間たち、元気ですか?

会いたくなるような映画を見つけました。

 

私?そうね、私は

「今 実際 恋愛中 久しぶりに夢中」

ってところです。

【恋ING】映画「あの頃。」の主題歌歌ってみた【藤本美貴】 - YouTube

私のゆるい自炊の話

なんだか最近お友だちと自炊のお話をすることが多いので、一人暮らしの自炊が6年目の私の、すこぶるゆるい自炊についてまとめていこうと思うよ!

 

まず、私が自炊をするうえでいちばん大切だと思っていることは「ハードルを下げること」です。「自炊すること」が大事なんじゃなくて「自炊を続けること」が大事だと思っています。月に1度手の込んだものを作るより、毎日野菜炒めを作るほうが良い、だって手の込んだものはごはん屋さんで食べたほうが美味しいし…という私です。

それでも一応仕事の時は9割8分お弁当を持参しているし、朝ごはんはお腹の空き具合によって変わるけれど、ほぼ毎日なにかしらを作って食べています。だけどハードルはとっても低い。

 

実は私が自分に課している最低限の自炊ルールは「お茶は買わない」「仕事の日、ご飯は炊く」の2点だったりします。

 

「お茶を買わない」は自宅用のものを煮出すことと合わせて、マイボトルを使うことを指します。しかもこれも割と横着していて、ニトリとかで買えるポット(って言うの?)から毎度水筒に入れると、あっという間に自宅用のお茶ってなくなるし、朝入れかえてる時間も勿体ないじゃないですか。ぶっちゃけ面倒!

だから私はだいたい3リットル弱の自宅用のお茶を沸かすときに、100均等で売っているプラスチックのマイボトルにお茶を淹れてしまうんです。日中仕事に出ている時はだいたい3日くらいで自宅用のお茶を飲み切るので、今は3本のマイボトルを用意していて、休日最終日に「明日から3連勤だな…」と計算して、3日以内に全て飲み切るようにしています。めちゃくちゃハードル低くないですか?夏場は脱水も怖かったので、職場の冷蔵庫にペットボトルのお茶は常備していたけれど、基本はマイボトルで過ごしていました。

 

あと、私は同じ料理が2日くらいなら連続しても問題ないタイプなので、仕事の日に料理をするのは1日1回です。それも夕食後(笑)

どういうことかというと、夕食後に翌日の食事を作っています。1日のメインのおかずをどかっと作り、それをお弁当に入れるし、朝ごはんと夜ごはんでも食べます。そうすると「1日で使った食器類を洗う」のと「調理で使ったものを洗う」のとが1回で終わるんですよ。すごーい!帰宅したらすぐにごはんが食べたいし、洗い物も1回で終わらせたい。そんなわがままは、自分相手だからできるんです。

ごはんを炊くのも1日に1回。夜のうちにタイマーをセットして、起きる少し前に炊き上がるように。3食分炊いちゃいます。帰宅したら冷えたごはんに残ったおかずを乗っけて丼にしちゃう。そんなもんです。

 

基本的に料理は好きなんです。単純に楽しくないですか?「お塩をかけると水分が抜けて野菜のカサは減るんですよ〜」って理科の先生になってみたり「オラオラオラ〜!たんぱく質が足りね〜ぞ〜!肉食え肉〜!」って体育の先生になってみたり。(体育の先生って栄養指導しなくない?)

あと買ってきた色んな形の食材たちが、手を加えることで次々と冷蔵庫の中に収まっていくのが楽しい。自分が魔法使いになったみたいで。

 

そうそう、自炊を「頑張ろう」としていた時期はあれこれたくさん作り置きしていたけれど、今はだいたい3つまでで留めています。あれ途中で食べるの飽きるんですよ(バッサリ)一応お弁当に困らないように、簡単で飽きない定番のものをひとつは入れておくようにしていて、仕事のときのお弁当とかで助かるんですけど、義務感で食べるの嫌じゃないですか、頑張ったのに捨てるのも嫌だし。

 

でもせっかく我が家に来た食材たちは無駄にしたくないな…で辿り着いたのは「冷凍ストックを作っておくこと」です。私の冷蔵庫によくいるスタメンは「きのこミックス」ですかね。

きのこってあれこれ何種類か混ぜて食べたいけど、そうすると1回で食べ切れないじゃないですか。でも食物繊維は豊富だし、いろんな料理に使える優秀な人材なんです。(べ、別にきのこ大国の長野県で育ったから贔屓しているわけじゃ…!まぁ長野県産選ぶけど…!)ということで、そのとき安く買えたきのこたち数種類の軸を切って、まぜまぜしてジップロックに入れてしまいます。私はここに玉ねぎスライスを混ぜることも多いです。ウインナーやベーコンと一緒に炒め物にしてもいいし、お味噌汁にしてもよい。意外と万能です。

ほかにも余った野菜、使い切れない野菜はカット済みにして冷凍してしまうことが多いです。意外と根菜類より葉物野菜の方が冷凍向きだなって思う。根菜類は歯触りが変わるなぁ…と何度も失敗したので、小さいサイズで買っています。

カット野菜のストックを作ることを私は「家事貯金」と呼んでいて、余力のある今の自分から余裕のない未来の自分宛にするものとしていて「感謝しろよ、未来の自分」とニヤニヤしながらやっています。そして使うときは「いやあ、あのときの私天才やな〜♡さっすが私やわ〜♡偉すぎ〜♡」と褒め称えます。そうするとまたやるので。そんなもん。

 

そうやって少しずつ改善して行って気づいたのは「私が自炊するときに面倒なのって、下拵えと後片付けだな」ということ。疲れている時に包丁とまな板を出すのって、個人的にかなりハードルが高いんです。ゴミの処理もしなきゃいけないし。だからそこをいかにして減らすか、もしかしたらそればかり考えているかもしれません(笑)

 

あと「便利なもの」はめちゃくちゃ甘えます。レトルトも使うし、インスタントの麺も好きだし、冷凍食品も愛用しています。ジャニーズWESTがCMしてるみたいな「あとは○○を入れるだけ!」とか「○○の素」みたいなものもめちゃくちゃ使います。だって全ての食材を集めるのからして大変じゃないですか?面倒なこと全部やってくれてるんですよ?ほんと、企業のみなさんありがとうございます…助かってます…

でもそこにアレンジもします。袋麺には必ずなにかしら野菜を入れるようにしているし、レトルトの食品のときは必ず副菜を摂るようにしています。辛いものが好きなので、麻婆系の調理キットは何かしら置いているんですけど、記載の分量じゃ少し味が濃いな…と思ってもやしやえのきを足してみたり、ちょっと辛みを足してみたり。残り野菜入れちゃえー☆みたいなの、よくします(笑)

 

あとスーパーでよくある味付け済みのお肉やお魚も買います。近所のスーパーは学生が多いからかひとり分のお肉やお魚も割と充実しているので、値引きの時間帯にふらりと行って、残っていたら買って、冷凍しておいてます。できるだけ自分じゃしない味付けのものを選ぶようにはして、楽しみは増やしています。ものによってはここに冷凍しておいた玉ねぎスライスや葉物野菜を投下してカサ増しすることが多いです。なんていったって3食分にしたいので(笑)

あと鮭は偉い。塩かけて焼いたら美味しいから偉い。お弁当のおかずにもなるから偉い。あとアスタキサンチンも入ってるしアンチエイジングだし、そもそもたんぱく質だから偉い。私が気を抜くと最も不足するもの。

 

それくらい、私の自炊はゆるいです。

細かい料理していくなかでの決めごとは挙げ出したらキリがないけど、基本はこの程度。どうしても面倒でお惣菜を買ってくることもあるし、ひとの作ったあったかいごはんが食べたい…ひとりの空間でごはんが食べたくない…って外食することもある。一人暮らしだし、そのくらいがちょうどいいなぁって思う。

でも少しずつレパートリーが増えて行ったり、このアレンジ美味しそうだな…って試したり、そういうのって楽しい。

あと意外と家族との話題が増えた。帰省したときも一緒にキッチンに立って「この前これを作ったけどあんまり美味しくなくて…」とか「この野菜のレパートリーが少なくて…」とか言うと、家族からその場で色々教えてもらえる。ネットのレシピもいいけど、自分が育った環境からのあれこれはいちばん間違いがない。アラサーになって増えた家族の色々、祖父母の病気の話とか、そういう「ちょっと覚悟しなきゃいけない話」「諦めて受け入れていかなきゃいけない話」以外に話題ができるのって、気持ち的にかなりありがたい。

 

自分のためにごはんを作って食べることって、生きていくことを諦めていないようで、自分の生命力を感じる気がして、私すごく好きなんですよね。もちろん誰かのために料理をするのも当然ながら素敵なことで、作る側も食べる側も、双方にとって嬉しいことだと思うんだけど。

 

だからゆるくてもいいから続けたいなって思っているし、自炊苦手だなって人にも、せめてあったか〜いごはんを炊くだけでも、お茶を淹れてほっこりするだけでも、1日のなかで「生きていくことを諦めない」っていう瞬間を感じて欲しいなって思う。こんなご時世だしね。

 

ああそれでも早くお友だちと気兼ねなく美味しいものを食べに行きたいよ〜!焼き鳥とかスパイスカレーとか、ふわふわのパンケーキとか、美味しいねっていろんな話をしながら、誰かと食事がしたいです。それまでみんな、生きてくのを諦めずにいようね。私でした。

星たちのなかに王子さまがいることを、知っている人へ

年末に用事があって久しぶりに街中まで出た。

用事をあれやこれやと済ませて、最寄駅までの道中、ふらりとある雑貨屋に立ち寄った。本当に、なんとなく。数年ぶりに吸い込まれた。静かな店内の壁際。広めに展開された棚を見て、私はある人を思い出していた。

 

星の王子さま」といえば「大切なものは、目に見えない」など印象的で忘れたくない言葉をさらりとこちらに投げかけてくれる名作であり、その独特でかわいらしい挿絵は様々な形で商品展開がされているほど、多くの人々に愛されている作品だ。

私は棚に並べられたたくさんの「星の王子さま」たちを眺めながら、少年忍者の川﨑星輝さんのことを思い出していた。

 

 

今年1冊目の本として「星の王子さま」を選んだ。幼いころから何度も読み返していたけれど、なぜか自宅の本棚にはなかった。その後実家の本棚にあることが分かったけれど、これを機に自分用に文庫本で買い直した。

 

無垢で素直で、こちらの質問には答えないのにたくさん質問を投げかけてきて、だけど真理をつき物事の本質は逃さない、そんな「星の王子さま」は私にとっての「星輝ちゃん」だった。名前にお星さまがついているのもあって。まぁそれが大きい。

 

私は星輝が「ラジオをやりたい」と言ってくれるのはとても嬉しくて、いやまあかわいいお顔が見たい気持ちもあるけれど、話すことの技巧がより試される場を目的地にする、玄人向けの分野をあえて選ぶ心意気に感心するし、あとシンプルに低くなってきた星輝の声っていいなぁと思っている。まだまだ裏返るときもあるけれど、Island TVでの少しオフ寄りの状況だと、普段より低めで落ち着いた話し方になるのが魅力的だなぁと思う。「この声で朗読劇とか聞いてみたいなぁ…」それはうっすらと勝手に描いていた願望だった。

 

ドラマ「文豪少年!」に少年忍者から12人が各話の主演をするという発表がされた。

まさか少年忍者がここでピックアップされるとは!と狂喜乱舞したが、嬉しい発表であると同時に、それはとても残酷だった。22人グループから12人。人数が多く若いグループは、様々な場面で制限が出てくる。それは今までだって何度も、何度も経験してきたはずだった。それでも残酷だと、毎回思う。

だけどそれでも少年忍者の最大の武器は「手札が多いこと」だと思っているし、全員が選りすぐりで、場に応じて最適解の戦いができると常日頃から思っていた。

しかしそこで私は自分のなかに「代表する」「選択する」という行為が当たり前になっていたことに気づいてしまった。それはグループである時点で致し方ない問題ではある。しかし母数が多いと言うことは同時に「選ばれない可能性が高い」ということでもある。

 

 

「星が美しいのは、目に見えない花がひとつあるからなんだ」

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しもっているからだよ」

星輝の好きなところのひとつが素直に言葉にできるところで、周りのお兄ちゃんたち(実兄も含)の仕事ひとつひとつを素直に喜び「かっこいい」「すごい」「ここが好き」と褒められる。そして「羨ましい」「ファンになって」と素直に言えるかわいらしさ。それらってなかなかできないことだと大人でも思う。例え「そこだけ見せている」としても。

 

「夜になったら星を眺めてね。ぼくの星はとても小さいから、どこにあるか教えてあげるわけにはいかない。だけどそのほうがいい。ぼくの星は……星のうちのどれか一つだということだから。それできみは星全部を眺めるのが好きになる。星がみんな友だちになるよ。」

そして王子さまのこの言葉を聞いて、私はハッとした。勝手に様々な「選ばれる」「選ばれない」に軸を揺さぶられて、勝手に一喜一憂しているだけで「私が少年忍者を好きな理由」をすっかり忘れていたんだ。

確かに担当は居る。しかもここまで星輝の話をひたすらしておいて皇輝のオタクというまさかの展開なのだけれど(笑)

好きな人がその星たちのなかに確かに存在していて、そこに懸けている。だから私は「少年忍者」をこんなにも好きなんだと思う。

私にとって「少年忍者」であるひとを好きであるということは「少年忍者」である人たちのことも大切になるということだ。

私自身が忘れないように、ここにそう書き残しておく。

 

「あんたのバラがあんたにとって大切なものになるのは、そのバラのためにあんたがかけた時間のためだ」

「人間というものはこの真理を忘れているんだ。だけど、忘れてはいけない。あんたは自分が飼いならしたものに対してどこまでも責任がある。あんたはあんたのバラに責任がある……」

何も知らなければ、飼いならさなければ、きっと「たくさんの星」のままだったと思う。でも今は違う。ひとつひとつの星たちが、誰かにとって唯一無二の星たちで、そのたくさんの「誰かたち」がその星たちを眺めて嬉しくなったり不安になったりしているのを知っている。それが「大切にする」ということだということも、実は知っている。ほとんどの時間、忘れて過ごしているけれど。

 

これから先たくさんのことが起きるだろうし、不穏な動きも未知な動きも既にたくさんあるし、おそらく毎度毎度懲りずに一喜一憂してしまうんだろうけれど、それらも全て「大切にする」ことに帰着していけたらと思う。

 

身勝手な私は、星輝の声が実際にラジオで聞きたいと思うし、星輝の声で朗読劇も聞いてみたいなと思う。あの暖かくて穏やかな声で、優しく「星の王子さま」とかどうだろう。ラストシーンはきっと少しだけ、声が裏返ってしまうんだろうな。

「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!!」seasonⅡ 個人的まとめ

【注】このブログは「あの話した回どれ?」と動画迷子する自分用の見出しを兼ねているため、要約がネタバレと主観を含みます。

 

 

ここまでの更新はどちらかひとりがカメラ前、ひとりがカメラ後ろで撮影していたが、フェイスシールドを手に入れたことにより2人横並びで撮影が可能に。兄弟間、しかも自宅での動画でも徹底された感染対策。星輝いわくここからseasonⅡに突入。(18回目でその話題に)

 

そしてついに29回目で念願のラジオ出演が決定したと言うご報告が!(ふたりの話ぶりだと29回目が2本ある雰囲気だけど更新では29/30回表記)本物のラジオ出演以降はまた別記事でまとめて行くつもりです。(なおseason Iは少しずつ作成中)

 

■15

・星輝、ヘアセットを会得

・サマパラ美少年公演が楽しかったようで話が止まらない星輝

川﨑星輝、川﨑皇輝「土曜日10分ラジオyeah!! ⑮」 | ISLAND TV

「合格点をずっと出すのって、決して合格ではないじゃん」

「団結するための鎖になれたんだよ、お前は繋がってなかったかもしれないけど」

 

■16

・皇輝、髪を切る

・背景にコルクボード登場、視覚にも訴える

・ネプリーグ出ます!!!

・星輝と将聖と知育菓子

川﨑星輝、川﨑皇輝「土曜日10分ラジオyeah!! ⑯」 | ISLAND TV

「これは少年忍者史上、大きな事件ですので」

「個人的だけど、練るとこ7、食べるとこ3みたいなとこあるよね」

 

■17

・星輝、終始甘噛み

・ネプリーグ裏話

・ananが発売されます!!!

・兄弟コンテンツを褒めてもらった記事、嬉しいけど番組名がダセェ

川﨑皇輝、川﨑星輝「土曜日10分ラジオyeah!! ⑰」 | ISLAND TV

「絶対如恵留くんは間違えないんだよ!!!」

アイドル誌に出ること、そもそもそれがすごいこと」

 

■18

・星輝、音声入力禁止令

・星輝、ananめっちゃ褒める

・兄弟ラジオの変遷を辿る

・盛大にかけ算を間違える暗算王

川﨑星輝、川﨑皇輝「土曜日10分ラジオyeah!! ⑱」 | ISLAND TV

「あーあ、時代の中心を行く男が」

 

■19

・お昼寝皇輝先輩

・星輝の携帯メモ成仏企画 (ボールペン)

・足の小指の役割

・M誌の皇輝の女装について

川﨑星輝、川﨑皇輝「土曜日10分ラジオyeah!! ⑲」 | ISLAND TV

「シフトどうにかしてくれない?!」

 

■20

・背景に画鋲でイニシャルを作るDK(かわいい)

・悪ふざけする兄、泳がせる弟

・2019年少年忍者単独公演の裏話(遊びコーナー)

・星輝「ダブルダッチ」をずっと「ダブルタッチ」と言い続ける

川﨑皇輝、川﨑星輝「土曜日10分ラジオyeah!! ⑳」 | ISLAND TV

「星輝スベったってスクショしてあげてください」

 

■21

・レコメン「慶の兄貴軍団」皇輝出演について

・タイトルに「川﨑兄弟」を足したい

・美容院での珍事

川﨑皇輝、川﨑星輝「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!! ㉑」 | ISLAND TV

「それ!僕です!また抱っこしてください!」

「僕ら兄弟話すの好きなんで」でしょうね

 

■22

・キンプリ配信ライブのバックについて

・治安が良すぎる「ぶっとばすぞ」

・誰も見ていない星輝のスタン宙

・Mステ生放送の話、事前謝罪、不思議な時空

川﨑皇輝、川﨑星輝「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!! ㉒」 | ISLAND TV

「三点倒立ってダサいな?なにそのマット運動みたいな」

 

■23

・ハロウィン背景

・星輝のひどすぎるテーブルクロス引き

・カラフルなくまちゃんロンTが星輝のものになった経緯

・皇輝が作ったおばけバルーンの行方

・Mステ生放送について、台宙選抜の裏話

・兄と弟が逆転、楽しくなっちゃった兄

川﨑皇輝、川﨑星輝「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!! ㉓」 | ISLAND TV

「盛り上がってたよ、食器が。大熱狂」

「皇輝の胸板が厚すぎて着れなかったの」

 

■24

・ハロウィン背景、バルーン仮装 (制作:星輝と川﨑ママ)

セクゾ配信バックについて(終演後最速裏話)

・てるみーなんちゃら選曲は風磨

川﨑皇輝、川﨑星輝「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!! ㉔」 | ISLAND TV

「湧以外」

 

■25

・KちゃんNEWSで皇輝の話題が出たことへ感謝の言葉

・Island FESのグッズが出るよ〜

・マスクしてないのはパンツ履いてないみたいな感覚だと思う星輝

・新コーナー「コメント返そうyeah!!」爆誕、ブラウザでTwitter開く皇輝プロ

・ケンティーに成長を驚かれる兄弟

・皇輝プロによる「業務連絡」はガチの響き

川﨑皇輝、川﨑星輝「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!! ㉕」 | ISLAND TV

「なに遠くから中継してんの?ひとりずつ。マンションみたいにすんの?」

「仲良く、見てください!やった♪」

 

■26

・悪ノリで始まる「10秒ラジオyeah!!」

・皇輝もオタクもざわついた「ブランコで2時間寝る星輝」

・NEWS「WORLDISTA」の感想

YouTubeモザイク回の鳩マスクの話

川﨑皇輝、川﨑星輝「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!! ㉖」 | ISLAND TV

「鳩で映んなかったから、今のうちに俺の顔見といて!」

「成功してる姿も見せれるし、失敗して罰ゲーム食らってる姿も見せれる、うん、フル!」

 

■27

・口が回らない川﨑兄弟

・グッズをまだ見せられないのでうちわの柄を見せて胡散臭いテレビショッピングごっこをする川﨑兄弟

・前週のYouTube歯磨き回の裏話

・コメント欄と話そうコーナー

川﨑皇輝、川﨑星輝「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!! ㉗」 | ISLAND TV

「土曜日10分ラジオyeah!!を毎週見ているコアな人がYouTubeを見逃しているとは思えないのよ」

「以心伝心しちゃったのかな?」

 

■28

・史上最高の星輝がうざいので裏側をバラす皇輝

・Island FESのグッズが背景に(マスク付けたバルーン)

・Island FES、全忍者担に見てほしいです!

・忍者は同じ構成でパフォーマンスしないという裏側の話

・にんちゅの先輩モノマネ回の湧へのダメ出し、追及動画撮ります宣言

川﨑皇輝、川﨑星輝「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!!㉘」 | ISLAND TV

「学校に是非持っていって、友だちにマウントをとってください」

「少年忍者が好きなんだぞ、と。胸を張って学校で手裏剣でも投げててください」

 

■29

・なんども開催される算数の授業

・10分ラジオがきっかけで兄弟でのイマジネーター出演が決定したという嬉しいご報告

・今週は豪華二本立てでお送りします!

・「皇輝くんの豆知識コーナー!」が豆知識どころじゃない

・予め「責任が取れません!」と言う責任感

川﨑皇輝、川﨑星輝「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!!㉙」 | ISLAND TV

「29回も10分ずつ喋ってて、なんか、あったんですか〜ぁ?」

「すっごいスピードで移動できるみたいな」「マッハ時間」「すごいバァンって…ねぇ」「…爆破時間?」

 

■30

・Island FES終わりました編

・「太陽の笑顔」がとにかく嬉しい話

・初めて聴いたときに泣きそうになった皇輝と、本番で泣いた星輝

・色んなところで色んな形でパフォーマンスしたいと話が膨らむ兄弟

・Beat Lineの裏話、まさかの太鼓の方が足りない少年忍者

・舞台裏でIsland TVを撮る時間が全然なかったので湧の追及動画は今度撮りたい

川﨑皇輝、川﨑星輝「川﨑兄弟の土曜日10分ラジオyeah!!㉚」 | ISLAND TV

「そうですよ三脚さん、脚三本も生えてんだからぁ、しっかり立ってください」

「少年忍者の人数話、俺無限とできるからね」

 

 

 

いやあ本当に、継続な力なりと言いますか、何もしなかったら生まれなかったかもしれない兄弟でのラジオ出演ですからね。君たちなら大丈夫だ!!!

せめて生きていて欲しいという願いのようなもの

今年に入ってから、何回考えただろう。

未知の疫病に戦々恐々としていた自粛期間からずっと「生きていくこと」について、数え切れないほど考えてきた。

 

そして今年に入ってから、何回願っただろう。

大切な人たちが、大好きな人たちが、せめて生きていて欲しいと、何回願ったことだろう。

 

 

私がこれを書いているのは、まるで絵馬を書くような、七夕飾りのような、そういった類で。直接本人に伝えるにはあまりに重く、けれど誰かに「私は確かにそう思っていた」と分かっていて欲しい、それは未来の自分でもいいし、巡り巡ってたまたま読んでいるどこかの誰かでもいい。そんな意思表示のようなものです。

 

私は歌って踊ってステージに立つアイドルが大好きで、そして舞台で演技をする人たちのことも大好きだ。その存在自体にどれだけ救われてきたか分からないし、そこで出会った人や物事で得た沢山の財産がある。

それは現在進行形で、結果的に学生時代よりも長くなったし、もちろん社会人経験よりも長い。

 

だからこそ、立て続く訃報がその度に冷たく私の背筋をそろりと撫で上げる。

 

どうか、どうか、せめて生きていて欲しいのです。

 

確かにステージに立ち、カメラの前に立つあなたを好きになったのだけれど、その場に立っているから好きなわけではなくて。

もし辛くて、しんどくて、生きることを辞めたくなったのなら、いっそステージに立つことを辞めてくれたっていい。それでどこかで笑っていてくれるのなら、それでいい。せめて、生きていて欲しいのです。

 

私一人でさえ、どれだけ幸せにしてもらったか、どれだけの得難い経験を与えてもらったか、計り知れないのだから、きっと与えてきた幸せはもっともっとたくさんある。だからどうか、信じられないくらい幸せになって欲しい。自分の幸せを自分で決めて、信じられないくらい幸せになって欲しい。そう、思ってしまうのです。

 

 

だけどその反面、漠然と死に吸い込まれたいと思っていた時期があるので、なんとなく「ああ、吸い込まれたのか」と思ってしまった私もいる。渦中に居ると温かい言葉ほど届かず、冷たい言葉ほど深くに刺さる。私は自分の呼吸音にすら苛立ち、空腹は身体が生きたがっているようで憎らしかった。「今日」がいつまで経っても終わらず、何度絶望したことか。

 

無力だ、と思う。でも無駄ではないと思う。

あれから環境をガラリと変えて今は毎日楽しく笑って暮らしていて、心なしか精神的な許容範囲も広くなった。

今だから当時の自分を客観視できるし、今だから当時の自分にとってのストレスも客観視できる。今だったらもっと上手くできるだろうとも思う。でも今の自分は決して当時の環境下では存在していなかっただろうし、ひとつの成長材料として「当時はご迷惑をおかけしました」と感謝すらしている。それでいいのだと思う。その時分かり合えなくたって、いいのだと思う。そうやって迷惑をかけながら大人になって、いずれ誰かに迷惑をかけられる側になっていく。それでいいのだと思う。

 

大半の場合、そこに悪意は無い気がする。意志を持っている以上、そこに主張はあって当然のことだ。

平気で誹謗中傷ができる人は、自分がそれをしているとは気づいておらず、むしろ「自分は正論を述べている」と思っている気がする。途中で我に帰ることもあるかもしれないけれど、そうじゃないことの方が多いと思う。

 

だからこそ、難しいなと思う。

でも自分だけでも気付いて、考えて行かないとならないなと思う。大抵の「悪いこと」は「気付かず、考えず」に起こっていると思うから。

今抱えている自分の発言は「主張」なのか「裁き」なのか自分で見極めることが、今後のメディアリテラシーで必要なことではないかと、そう私のなかでひとつの結論となった。

 

それでも、自分は無力だと思う。

無力だけれど、私は他の人よりもたくさん言葉を紡いでしまう人間なので、たくさんの愛の言葉であるように生きていこうと思う。

 

私の大好きな、愛されるべき人たち。

私の周りの大切な、愛すべき人たち。

逃げたっていい、せめて生きていておくれ。

生きる意味を自分で見出せない時だって来るかもしれない。そのときのために私はたくさん、あなたに生きていて欲しい理由を投げかけておくから、たったひとつでいい、拾って欲しい。そしてせめて、生きていて欲しい。

 

「自分の幸せは自分で決めて、信じられないくらい幸せになって欲しい」という私の本心すら「生きることを辞めることが幸せ」と認識している人からすれば呪いなのかもしれない。だけどそれでも、私は「生きていて欲しいな」と思ってしまうのです。

私の夏拐い 〜【概念としての夏】と【私のなかの川﨑皇輝】の備忘録〜

ついに夏が終わる。

気温35度を超えた8月頭から、まるまる1ヶ月文字通り瀕死で、時折泣きながらそうめんを食べていた。ほぼ毎年恒例の夏バテである。今年は特にひどく、ほぼそうめんと冷製スープと野菜ジュースとアイスで生きていた。いつもなら幸せの絶頂なのに、ご飯が炊ける匂いが気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がなかった。倒れなくてよかった。ご心配をおかけしたみなさん、ありがとうございました。ひとまず今年の私は無事です。今年の私は阪急電車で倒れていません。

 

憎き灼熱地獄から解放され、9月を数日すぎるとあれよあれよと言う間に、ハンバーグも炊き込みご飯も食べられるようになった。イオンのお惣菜コーナーで気持ち悪くなっていたレベルだったのがもはや懐かしい。健康診断まではこのウェイトをキープしたいものだがどうなることやら。

 

けれど記憶のなかにある【概念としての夏】はとても好きだ。【体感としての夏】は基本的に夏バテで溶けているけれど、溶けているなかでも感じ取ってきた【概念】の部分においては、私は夏がとても好きだ。

 

そしてブログを書くに至るのはここに帰着するからである。

そもそも私の言う【概念としての夏】は【二面性】が鍵で、昼夜それぞれが持つ表情の違い両方があっての夏、という認識。

私の中の「夏の昼」と「夏の夜」のイメージは140字以内だとこんな感じ。

夏って、大きな声でなにか叫びたくなるのに、本当に言いたいことが何かに飲まれていく感覚になる。

 

そんな【概念としての夏】と【私のなかの川﨑皇輝】はとても近い。前述したツイートのとおりだし、彼と対峙しようとすると何が本当に伝えたいことなのか、彼自身に飲み込まれて言葉に詰まるような感覚になる。先日ファンレターを書くだけで数日間の構想を練ったし、好きなところの列挙をすると、送るのを躊躇する内容だったし、見かねた友人に「考えすぎだよ(笑)」と励まされるし、実に大変だった。

 

夏は熱に浮かされて自分じゃない感覚にだってなる。抱えた熱の発生源が太陽なのか、自分なのか、それとも隣にいるその人なのか。分からないのに、信じたくなってしまう不思議な魔力がある。

 

そんな人に初めて「しんどい」と不意に吐露されたとき、どうしようもなく泣きたくなった。

 

朝一番の忙しないコンビニのラックのいちばん前や、店頭の目立つ位置に平積みされた雑誌に堂々と印字された彼の名前を誇らしくなぞる。ドキドキしながら開いた掲載ページと対面する。そんななかでの不意の本心の吐露だった。

私は本当につい最近その熱を纏ったので、過去のことはまだまだ表面すら知らない。だからその本心を開示されたとき、スッと全身を覆っていた熱が消え、その代わり熱の発生源が確かに自分の内にあるものだと気づくことになった。

 

「夏が終わるのか」と実感する。私の肩を抱く寂しさをそっと払う。大丈夫、熱は確かに私が持っている。