そして僕を手放さずにいて

アイドルオタクのときめき備忘録

あなたにとっては不要不急かもしれないですが。

とてつもなく楽しみにしていたSHOCKが中止となった私が、悔しさと苛立ちとを飼い慣らせなくなりそうだったので、昨日からひとつひとつ噛み砕きながら書き起こしたコロナとそれに対するお偉い方々の対応や、己らの見る目のなさを吐き散らかしたブログです。興味ないよ!って方はここで読むのやめてください。政治には詳しくないですがごくごく一般の人はこれくらいの認識では?くらいの感じです。

 

 

 

 

ステージは私の大好きな人たちの夢だ。

そしてそれが私のなによりの生きがいで、仕事をするモチベーションだ。大好きな人たちが頑張っているから私も頑張っている。

それを不要で不急だと決め付けられているようで、今はなんだか、悲しくて、悔しくて、辛い。

 

でもわかっている。理解している。現状を考えるとやむを得ないというのは、もう私もいい大人だし、元々医療機関に居た身としては分かっている。理解している。だからこそまた辛い。

 

1ヶ月以上前から騒がれていたし、1ヶ月以上前から自分が罹患しないよう、周りに広めないように、仕事でもプライベートでも、可能な限りの対応をしてきた。

観光業の私は、毎日複数回お客様の手が触れる部分を消毒し、マスクを装着し、事務所に入るたびに手を洗いアルコール消毒をし、うがいをした。定期的に換気をし、お客様用にアルコール消毒も設置した。それもそろそろ底を尽きる。なお補充はできない。市場に出回りがなく、本社も手配ができないからだ。

 

1ヶ月以上経つ。

1ヶ月以上経つのに、店舗にマスクもアルコール消毒も並ばない。

1ヶ月以上経つのに、医療従事者ですらマスクの使用制限がかかっている。

1ヶ月以上経つのに、毎日毎日危険性に関して注意喚起がされていても全く機能していない。

 

1ヶ月以上、私たちは騒いで心配して、恐れて生活していた。最新の注意を払いながら、アルコールで荒れた手に、またアルコールを擦り込む。

 

1ヶ月以上かけてこれだ。

それだけの時間をかけてこれだ。

 

そして今更なに?

たかだか数日で「イベントも文化活動もなにもかも中止したらどう?中止に関わる諸々は知りませんけど?」「学校も来週からみんな休もう、子どもたちの面倒は各々適当にどうにかして?」と来た。

え?なに?なにそれ?ほんまに言うてます?

大阪の人の「知らんけど?」みたいなノリで言わんといて?「いやいや知らんのかい!」って突っ込む次元の話じゃないですよね?

 

先週実家に帰って情報番組を見ていたら、国会はずっと「桜を見る会」の領収書の話だった。

そろそろ次の桜の蕾が膨らむのに、まだ去年の桜の話で盛り上がれるなんて、なんと穏やかで情緒に満ち溢れ趣豊かなのかと思う。議論の場ではなく、静かに和歌などをお詠みになっていた方が向いているのでは。

領収書の件など結論は明らかに出ているのに、いつまでも話が終わらないのは、まるで人気のある連載漫画が最終回を伸ばしているようだ。時間の無駄は人生の無駄。いっそ途中で購入をやめたい。コンビニのレジでも領収書の出し方は習うので、最低賃金をいただいて学んでくださったらいいと思います。確かにほとんどの大学では領収書の出し方は習わないですし。

 

すぐに終わる内容をここまで間延びさせてこれだ。今だ。この現状だ。悪化の一途。

 

誰もこちらを見ていなかったことが、ここに来て露呈したんだと思う。誰も私たちの心配などしていなかった。秋にあった増税では、社会保障に使うと言っていたのに、これだ。私たちのことなど考えていない。果たして社会保障ってなんだ?って改めてググった。国民の生存権を守るための国家の保障や制度。そうなんですよ、私たちには生存権があるんだ。

 

二次感染の恐れのある状況であっても、枚数制限が課され、汚染されたマスクを使うしかない医療現場のことも、時間給で働く親が急な休校で子どもの相手をするために休むと、それに伴って生活が困窮することも、多くの人が集まる場を可能な限り清潔にし、パニックにならないよう努めているすべての人のことも、なにも見えていない。卒業式や入学式だってある。それらが急になくなる子どもたちがいる。それだって見えていない。桜は見ていたのに。

 

それがまざまざと見せつけられたのが今なんだと思う。

 

私たちは何を見せられていたんだろう?

 

忘れてはならないのは、何も見ずにこの状況を許してしまっていた私たちにも問題があったということだ。これでいいの?いいわけないよね?

 

イベント会場には万単位で人々が同じ日、同じ時間に集まるのだから、選挙だってなんだって万単位で集まってもおかしくないのになと思う。そっちが見てなくてもこっちが見てるんだからなと牽制にでもなればいい。

 

いつの時代も、文化活動や芸術活動が制限されると起こることは同じだ。そうなって欲しくはない。

 

「つまんないこと」だと言われようと構わない。言った人にとってはつまらないことであろうと、それに対して本気な人がいることを、考えられる視野を持っていないんだと思う。そこに人権を見出せないのだから視力が落ちているのです。

 

いい大人はわざわざ周りが「育て」なくたって己で育つので放っておいてよい。放っておいたってウイルスもきちんとここまで育っているのだから、言葉を持ち学習能力があるとされる人間の、しかも大人なのだから、勝手に育ちます。

 

 

最近親に「口が悪い」と注意されたので懸命に汚い言葉を使わずにここ数日の苛立ちを吐き散らかした。

 

どれだけ吐き散らかしたところで、私の大好きな人たちが作り上げた世界は舞台上で公演されないし、手元には指折り心待ちにしていたチケットが使われずに残るだけ。何年も何年も夢見て努力してきたステージが、開幕前に中止となった人もいる。

不要不急、確かにこの感染の広がりをみたらそうかもしれない。でもこの広がりは、もっと早い段階でどうにかできたのではと思うから悔しい。いたたまれない。

 

現時点での私の感情は、こんな感じです。